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【Feel in Mexico vol.1/若きコーチ、世界を歩く、書く】いまのところ「ラ」の字もない。
テオティワカン遺跡、太陽のピラミッド。最盛期はおよそ10万人が住んでいたというが、文字が残っていないため全貌はまるでわからない。(本人提供/以下同)

【Feel in Mexico vol.1/若きコーチ、世界を歩く、書く】いまのところ「ラ」の字もない。

中矢健太

 オーストラリアのコーチング留学から帰国して、はや3週間が経った。日本から飛行機を乗り継いで20時間、メキシコシティ国際空港に辿り着いた(4月15日、日本発)。

 最初の便がカーゴのトラブルで2時間遅れ、トランジットのモントリオール・ピエール・エリオット・トルドー国際空港に着いた時点で乗り継ぎ時間は30分。時間がない。たまたま前に並んでいたマダムもメキシコシティ行きのトランジットだったようで、大声で 「Mexico city, 20 minutes!!」と叫びながら突進する彼女に着いていった。
 手荷物チェックに並ぶ別便で来た人々にも「20分しかないのよ!」と交渉、どんどん前に進む。やはりラテンは明るく、自己主張がはっきりしている。

 そんな私たちの様子を見かねたのか、手荷物ゲートにいたドレッドヘアの係員が「ニホンジンデスカ?」と私に聞いてきた。彼は日本に留学していた経験があったようで「ヤッパリネ!」とニコリ。
 話が早い。日本語で私たちの状況を説明すると、スムーズに通してくれた。

 ゲートまで200メートルほど、搭乗締め切り時刻まで3分。「あなた私の荷物持って走りなさい! ゲートを止めるのよ!」と、マダムのバッグを半強制的に担ぎ、私はコンコースを激走した。マダムもなんとか間に合い、グータッチ。乗り込んですぐに、飛行機は離陸した。

 初めてのメキシコ。シティを歩くと、視界に落書きが映らない方が珍しい。車が信号で停まると、一斉に物売りや窓拭きが姿を表す。時にはダンスや大道芸のパフォーマンスで小銭を稼ぐ人もいた。
 治安維持のため、駅や空港、観光名所などはもちろん、市場や露店でもマシンガンを持った軍兵や警察官を見る。お菓子や花を売っていたり、露店に立つ親の背中で寝ていたりしている幼い子どもたちも多く目に入る。

【写真左上】現地で食べたタコスの中で、サボテンは意外にも味がしなかった。
【写真左中】メキシコ国旗
【写真左下】信号が赤になる、一斉に道脇から飛び出してパフォーマンス。終えると車を回って小銭を稼ぐ
【写真右】ルチャ・リブレの会場「アレナ・コロッセオ」。3階建ての縦長コロッセオで、人々の熱狂が異様な空気を生む


 私がここに来た理由はふたつある。

 一つは単純に、生きている間に中南米へ来てみたかった。学生時代、スペイン語のクラスを2年間取っていたこともあって(今となってはほぼ忘れてしまったが)、当時から興味があった。日本から一番遠いラテンアメリカ大陸は、20代のうちに特に踏み入れたい場所の一つだった。

 旅の名著『深夜特急』を記した沢木耕太郎さんは、自身の旅を振り返ったエッセイ「旅するちから」にこう記している。

「たとえ同じ場所に行くとしても、若い頃の旅と歳をとってからの旅は全く違う旅になる。人には誰しも『今しかできない旅』というものがある。その旅に出る機会を逃したら、もう一生チャンスはないかもしれない。」

 場所によっては標高が高く、歩くだけで息がきれる。日差しも近く、交通や生活のインフラも整備されていない。10時間を優に超えるバス移動をあたかも普通に提案される。
 老後に取っておいては、楽しめなかったかもしれない。私にとっては、今しかできない旅だ。

 とはいえ、早々に洗礼を浴びた。メキシカン料理の代表格タコス、ポソレ、アラチェラ(ステーキ)。どれも美味しく、調子に乗ってローカルフードをたらふく食べていると、5日目に早速お腹を下し、ダウンしてしまった。どうやら生野菜が当たったらしい。
 日本から持ち合わせた整腸剤では歯が立たず、現地の調剤薬局で薬を処方してもらった。英語は通じず、隣にいた旅人がスペイン語に通訳してくれた。

 もう一つは、中南米のラグビーを見てみたかった。日本のソースでは、ほとんど情報がない。強豪国であるアルゼンチンはまだしも、近年ワールドカップに出場したウルグアイやチリの情報は薄い。
 レベルや代表へのルートはどんなものなのか、そして現地のラグビープレーヤーはどんな人なのか、実際に自分の目で見てみたかった。これから3ヶ月ほどかけてメキシコから南下する道中で、さまざまな国の代表チームやラグビークラブを訪れる予定だ。

ネットフリックス「タコスのすべて」でも取材されていた『Taqueria Los Cocuyos』


 とはいえ、メキシコではラグビーの「ラ」の字も感じない。ラグビー専門のスタジアムはおろか、ラグビーショップもない。ただ、メキシコラグビー連盟 『Federación Mexicana de Rugby』のホームページには、およそ60のチームがメキシコ全土で登録されている。
 そのうちプロチームはなく、全てアマチュアクラブや学校のクラブになる。世界ランキングは40位(現地時間4月23日現在)。2021年にワールドラグビーが発表した 『Year in review』によると、総競技人口はおよそ2.7万人になる。

 国民の熱狂は、主にサッカー、野球、ルチャ・リブレ(覆面プロレス)の3つに向く。街にはサッカーの代表ユニフォームを着る人々が至る所にいる。現地のアディダスストアでは、1980年代に活躍したウーゴ・サンチェスの影響か、レアル・マドリードのユニフォームも置いてあった。お土産屋には野球のメキシコ代表ユニフォームもある。

 毎晩開催されているルチャ・リブレでは、縦長のコロッセオの中心で戦うレスラーに歓声と怒号が向けられ、異様な空気が漂っていた。3階建てのスタンドは満員。「バチン!」と屈強な身体がぶつかり合う音や派手な技が飛び交うたびに、幼い子どもからお年寄りまでさまざまな客が喝采を送っていた。

 というように、こちらに来て1週間が経つが、とにかくラグビーを感じる場面は何もない。
 だが、5月初旬にはメキシコ代表のテストマッチが予定されているという。相手はジャマイカ代表、世界ランキングは66位(同上)。お互い、どんなラグビーを見せてくれるのだろうか。


◆プロフィール
中矢 健太/なかや・けんた
1997年、兵庫県神戸市生まれ。上智大学文学部新聞学科卒。ラグビーは8歳からはじめた。ポジションはSO・CTB。在阪テレビ局での勤務と上智大学ラグビー部コーチを経て、現在はスポーツライター、コーチとして活動。世界中のラグビークラブを回りながら、ライティング・コーチングの知見を広げている。

サンミゲルの街にて


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