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快勝。大差の白星。めでたいのに心配がひとつ増える。コーチはつらいよ。
4月19日。リーグワンのディビジョン2。ここまで10勝1敗で首位の豊田自動織機シャトルズ愛知が敗れた。ホストの同2位、NECグリーンロケッツ東葛の15-8の大勝利だ。
前回の対戦は1月18日、シャトルズの42-0の「快勝」にして「大差の白星」であった。トライ数は6対0。3カ月後、結果はひっくり返った。
元ウェールズ代表監督、グリーンロケッツのウェイン・ピヴァックHC(ヘッドコーチ)は試合後の会見で言った。
「対戦をずっと楽しみにしていました。前回の対戦では42-0で敗れて恥ずかしさを覚えました。これまでは、あの敗北に触れてこなかった。この1週間の準備期間になって初めて口にした」
屈辱を発奮の活力とする。珍しいストーリーではない。むしろ古今東西の勝負の常だ。
「きょうは華麗なラグビーをお見せする日でないことはわかっていました」
タックルまたタックル。接点での闘争心。ゲームならぬバトルに臨んだ。

ではシャトルズにゆるみはあったのか。ない。ないのだけれど「屈辱」のもたらす相手の気迫にはほんの少し届かない。前半、敵陣にずっといながら1トライ獲得のみの1点リードにとどまる。
徳野洋一HCは同会見で述べた。
「前半40分は完全にコントロールできていた」
そこに42-0の事実がからんでくる。後半、危機感に奮い立つ感じにはならない。かといって最後は絶対に負けないという確信にも達しない。あやうい心理だ。
ラグビーを書く仕事を始めてから、よく用いる言葉がある。「伝播」。古い広辞苑出動。でんぱ①つたわりひろまること。ひろくつたわること②波動がひろがってゆくこと。
15人もの競技だ。ベンチを加えて23人。さらに控えの者たち、コーチ、スタッフ。3カ月前の圧勝の記憶のせいで、ひとりずつが「またそうなるほど甘くない」と気を引き締めても、わずかな「ま、勝てるだろう」は消えてくれない。すーっとクラブの内部に、まさに波動のごとく「つたわりひろまる」。
油断とは違う。ちなみに。ゆだん①気をゆるすこと。不注意。
ぼんやりしたわけではない。なめるなんてもってのほか。実際、シャトルズのひとりひとりは激しく体を張った。でも、かすかな「気持ちのありか」は、すでに伝播している。
徳野HCは当然、知っている。スクールや中学や高校や大学の指導者もみな、このあいだのボロ勝ちこそおっかないとわかっている。いるのだけれど、「恥ずかしい気持ち」を糧とする挑戦者にはつい一歩、いえ半歩ゆずる。コーチはつらいよ。
昨年度の大学ラグビー。11月3日、早稲田大学は対抗戦で前年度王者の帝京大学を48-17で破った。トライ数は7対3。年が明けて1月13日の全国選手権決勝。同じ顔合わせにこんどは15-33の完敗を喫する。
あれとて油断はなく、なお2ケ月強前の展開にもまったくならなかった。報道など外にいる立場なら、うっすらと「早稲田、準決勝までの戦い方だけでは危ないぞ」とわかる。しかし当事者にすれば、現実にうまくシーズンを進んできて、ファイナルの前に突然、戦法をガラリと変えたり、先発を大胆に組み替えたりはなかなかできない。
それをできる人間はまれだ。過去に同様の状況でしくじった長老級、イメージでは50歳を過ぎたような監督でないと難しい。
往時の日本代表を率いた大西鐵之祐さんは晩年、早稲田大学高等学院のコーチングに情熱を傾けた。1987年度、東京都の花園予選決勝を控えて、70歳の大西コーチは従来の展開戦法を退け、ハイパントに徹するよう指示する。
的中。あのころ強力FWでとどろいた本郷高校を不利の予想にかかわらず倒した。29年後のシンポジウムで当時のキャプテンはこう話した。
「準決勝までとはまったく違うラグビーでした」
初心者の集団を見事に高みへ導いた会社員監督、竹内素行さんの「師・大西鐵之祐の像」は明快だった。
「彼らを東京都の決勝まで連れて行ったのは監督の私かもしれない。でも決勝を勝たせたのは大西先生。このままでは勝てないとなると、いままで積み上げてきたものを捨て去る割り切りの鋭さがある」
積み上げたのだから捨てられる。負けて学んで踏み込む境地だろう。
昨年の花園の岩手県予選決勝。盛岡工業高校は、本命とされる黒沢尻工業高校に21-20で競り勝った。5月26日の春季大会は7-69と吹き飛ばされている。地元の知人のメールにこうあった。「春は10トライ差。ドラマよりもドラマ」。
あのときの黒沢尻工業の3年部員の人生にこれで深みが出る。と、信じよう。いつの日か、大西鐵之祐級の名監督がここよりいずるかもしれない。

さてグリーンロケッツ。殊勲の人は20番、大和田立で決まりである。前日の「キャプテンズランで急遽メンバー入り」(ピヴァックHC)。しかも開始23分にジェフ・クリッジの負傷でさっそく芝へ飛び出した。
いわば急に急を重ねて、されど終了まで出場。母校の「美幌」の刺繍も誇らしいヘッドキャップを本日も装着、球をむしり、抱え、守り、いつまでも動いた。最後、線の外へ出れば勝ち星の足がいくらかもつれて、そこに33歳のオールアウトの崇高を見た。
当初はいわゆるメンバー外にして、これほどの実力と献身。ニュージーランド人のピヴァックさんに「日本列島のフランカーの凄み」の印象をあらためて残したはずだ。野心を超えるクラブ愛こそは日本ラグビーの強みなのである。
背番号14、こちらも33歳の後藤輝也の切れをなくさぬ落ち着きは「円熟のスピードスター」という存在を教えた。きわどい空中の競り合いにも駆け引きを忘れず、パスをつかめば、無理せず、強気も手放さず、よりよいフェイズへ変換させた。
2016年のリオデジャネイロ五輪においてニュージーランドを失意に陥れた一員だ。山梨は忍野村が故郷。7年前、あそこは星がきれいだそうですね? と聞いたら、こう返した。
「街灯が少ないんで」
郷土愛は照れるに限る。きっとチーム愛も。