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敵地に乗り込んでのフランス代表のアイルランド戦(3月8日)。序盤はアイルランドの猛攻を、フランスが激しいディフェンスで守り切った。
ようやくフランスが攻めに転じテンポを上げようとした矢先だった。時計は29分。フランスのキャプテンで司令塔、絶対的なXファクターであるSHアントワンヌ・デュポンが顔をしかめてグラウンドにうずくまっている。
突然のことだった。2023年9月29日の、ワールドカップのナミビア戦でデュポンが頬骨を骨折した悪夢のような記憶がよみがえった。
目に涙さえ浮かべている。彼はすでに自分の身体に何が起こったのか理解したのだろう。スタジアムの空気が凍りついた。
ここ数年、「デュポン依存症」という言葉が囁かれていた。特に昨年11月のテストマッチ以降、その印象は強まっていた。
彼らの強みであるFWのパワーとWTBのスピードを最大限活かしたプレーを展開していた。おそらく7人制で身につけたのであろう、デュポンがアメリカンフットボールの「クォーターバック」のように後方に下がりながら敵のプレッシャーを引きつけ、FWとWTBを繋ぐ。
代表スタッフも、デュポンの周りにFWを配置することで、より多くのオプションを与えられるようにしていた。
デュポンがピッチを去った後、チームに動揺が走った。
すぐにハーフタイムになり、選手たちがロッカールームに戻った。そこで彼らが見たのは、涙を流し、茫然としているデュポンの姿だった。
高校時代からの親友のNO8グレゴリー・アルドリットが「腑(はらわた)がえぐられる思いだった」と試合後の会見で、自身も目に涙を浮かべて語った。
HOペアト・モヴァカは、「『アントワンヌのためにプレーするんだ。アントワンヌのために勝つんだ!』とグレッグ(アルドリット)がみんなに言った。その気持ちが僕たちに200パーセントで戦うエネルギーを与えてくれた」と話す。
彼らは蜂起した。そんな時のフランス人ほど恐ろしいものはない。
後半早々トライを奪われ、8-13と逆転されるが動じない。むしろ怒りを増幅させていた。
このトライの起点になったLOミカエル・ギヤールのラックでのペナルティー判定にも彼らは納得していなかった。その後、すぐにトライを返す。さらにCTBピエール=ルイ・バラシがHIAで退場する。また仲間が傷つけられた。
そしてスプリングボクスの「ボムスコッド」に対して、南アフリカファンが「バゲットスコッド」と呼ぶ、フランスのフレッシュなFW6人が一気に投入される。彼らは全員トゥールーズに所属しており、BKのようにボールを扱うことに長けている。
怒れるレ・ブルーが自由奔放にボールを繋ぎ、アイルランドの選手たちを翻弄する。前節はメンバーに入れてもらえなかったWTBダミアン・プノーがピッチを斜めに駆け抜け、絶好調のWTBルイ・ビエル=ビアレが仕上げる。デュポンのあとを引き継いだマキシム・リュキュも果敢に飛び込んだ。アビバ・スタジアムがスタッド・ド・フランスと化したかのように、「ラ・マルセイエーズ」が響く。
さらにHIAで質問に答えられなかったバラシに代わりCTBに入っていたFLオスカー・ジェグーもトライを決めた。3年間勝てなかったアイルランド相手に、15分で3トライを追加し、13-35と点差を広げ、ボーナスポイントも獲得した。

その後、ゴール前に攻め込まれるも、FBトマ・ラモスがインターセプトでボールを奪い、まっしぐらに敵ゴールを目指す。セルジュ・ブランコの持つフランス代表最多トライ記録まであと一つに迫っていたプノーがついてきていたため、彼にプレゼントした。
プノーはスワンダイブをして全身で喜びを表現した(13-42)。ファビアン・ガルチエ ヘッドコーチ(以下、HC)の顔にも笑みが溢れる。
その後、FLフランソワ・クロスのイエローカードで14人になっていたフランスは2トライを許すが27-42で快勝した。
試合後の会見でガルチエHCがリュキュを讃えた。「彼は素晴らしい試合をした。今日の試合は、とてつもなかった」
普段はチーム全員を讃えるガルチエHCが、1人の選手をここまではっきりと褒めることは稀である。
緊迫したゲーム、しかも「デュポン依存症」とまで言われる現象を起こしている絶対的司令塔のアントワンヌ・デュポンの負傷退場というアクシデント。その重圧の中、途中出場するのは容易ではない。
「考える暇なんてなかった」とリュキュは試合後に笑顔で語った。
「アントワンヌは超人的な選手で、彼のプレースタイルからして、多くのタックルを受ける。いつものことだと思った。でも、彼の膝と顔のゆがみを見たとき、『来た』と思った」
覚悟を決めてピッチに入ったリュキュは堂々としたパフォーマンスを披露する。激しいタックルを連発(10/10)してチームに貢献し、自陣から正確なロングキックで陣地を挽回する。ゲームメイクも的確で、デュポンのように密集から湧き出てFLポール・ブドゥアンのトライも演出した。
「7-1のベンチ構成で、唯一BKのリザーブとして、いつでも、どのポジションでも出場する可能性があることは分かっていた。精神的にその準備をしてきたことが、今日役に立った」
パフォーマンスの裏側には、フランス代表でこの1年間、彼が経験してきた苦労がある。ガルチエHCもこう振り返っている。
「昨年のシックス・ネーションズで彼を特別扱いしなかった。しかし、我々は常に彼への信頼を維持してきた」
昨年のシックスネーションズは、オリンピック(7人制)の準備をしていたデュポンに代わってリュキュが先発に抜擢された。
しかし、チームは2023年のW杯敗退からまだ立ち直れていなかった。ピッチの上でもFWが相手チームを支配できず、スクラムも不安定。最初の3試合は悪夢だった。SHのリュキュは特に厳しい立場に立たされた。
ガルチエHCは、第4節から若いノラン・ルガレックに9番のジャージーを委ねた。序列を落とされたのだ。
「昨年のシックスネーションズのあと、難しい時期を過ごした。でも、それはチーム全体にも言えることで、思うような結果を出せず、期待を裏切ってしまった。自分に足りなかった点があったことも分かっていた。おそらく、試合にふさわしいレベルではなかった。だから、自分自身を見つめ直す必要があった。かなり批判もされたが、クラブがそれを乗り越えるのを助けてくれた」
現地ラジオ局『RMC』のインタビューでリュキュが当時の状況を語っていたのは、2月23日のイタリア戦で再びジャージーを与えられる前だった。
「トップレベルにいれば困難な時期もある。すべてがバラ色というわけではない。そんな時、諦めて落ち込むことを選ぶこともできるし、すべては過ぎ去ったことだと受け止めて、それを利用して自分を高めることもできる。僕はこの大きな嵐を利用して、自分自身についてより深く掘り下げた。何に取り組むべきかを考え、そして自分の強みに集中し、メンタルを鍛え直した」と続けた。

今回、代表に招集される確信はなかった。
「代表チームにはSHのポジションに競争があり、さらに昨年のシックスネーションズで少ししくじったから、また代表の42人のリストに入れるかどうかはわからなかった。だから、今ここにいられることが誇らしい。なぜなら、それは決してあきらめず、日々、献身的に努力を続けてきて、メンタルが強くなり、タフな性格になったことを示していることになるから」
強い意志で努力を続け、逆境を力に変えた。今、フィールドで幸せを感じている。
「今日は久しぶりに、このチームらしいゲームができた。試合に勝って、アントワンヌに少しでも喜んでもらいたかった。チームのマインドセット、団結力を見せることができた」と試合を振り返る。
この試合、デュポンがいないことで、チーム全員でプレーできているように感じた。普段はデュポンの陰になっているリュキュも輝きを放った。
しかし、彼らを結束させて、潜んでいた力を出させたのは、デュポンなのだ。
デュポンの負傷は、フランス代表に大きな衝撃を与えた。しかし、チームはそれを乗り越え、結束を固めた。リュキュをはじめとする選手たちは、デュポンのために、そしてチームのために、持てる力を出し切った。
「アントワンヌのために200パーセントで戦う」
ハーフタイムにそう決めた選手たちの言葉通り、フランス代表はデュポンの魂を胸に、アイルランドを粉砕した。
この勝利は、フランス代表がデュポンに依存したチームではないことを証明した。
そして、リュキュをはじめとする選手たちが、デュポンの穴を埋めるだけの力を持っていることを示した。これはとても大きな自信になる。
次節のスコットランド戦でも勝利し、今大会優勝を目指す。「アントワンヌのために」。