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元気、発信。村上陽平[日本製鉄釜石シーウェイブス/主将]
1998年5月20日生まれ、26歳。168センチ、75キロ。鹿折少年ラグビースクール→仙台育英→日大。勤務先は日本製鉄株式会社 北日本製鉄所。(撮影/松本かおり)
2025.03.07
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元気、発信。村上陽平[日本製鉄釜石シーウェイブス/主将]

田村一博

 いまでは釜石から車で1時間ほど。宮城県気仙沼市の出身だ。
 今季からシーウェイブスの主将を務める村上陽平は、「気持ちのこもったプレーを80分続けたい」と話した。

 3月8日(土)、レッドハリケーンズ大阪を釜石鵜住居復興スタジアムに迎えて、今季7戦目を戦う(リーグワン ディビジョン2)。
 その試合は、2011年3月11日に起きた東日本大震災から14年目となる3日前におこなわれる。東日本大震災復興祈念試合と位置付けられている。

 大地震が東北を襲った時、村上主将は気仙沼市立松岩小学校の教室にいた。当時6年生。クラスメートたちと卒業制作に取り組んでいたら、激しく、長い揺れに襲われた。
 海から遠い場所だったため、みんなで校庭に出た。サイレンが鳴っていたような記憶はあるけれど、何が起こったのか理解できていなかった。

 地域的に家や家族に直接的な被害はなかった。しかし時間が経つと、同級生の家族が犠牲にあったという話が聞こえてきた。
 津波警報が2週間ほど出ていたため、家族は近くの公民館で生活した。自分は仲のいい友だちの家へ預けられた。その間、電気が使えなかったことを覚えている。

アイルランド代表SH、コナー・マレーの安定感に憧れる。(撮影/松本かおり)


 被災した当時者である自分の頭の中には、当時の記憶や経験がいつもある。毎年3月11日が近づいて震災についての報道量が増えたり、セレモニーの予定が届いたりしなくても、ことあるごとに、あの日のことを思い出す。

「このスタジアムは被災した場所に建っていると思うし、海沿いに行けば、ここも被害に遭ったのかな、と考えます」
 街の中に『ここまで津波がきました』と記録してある表示を見て、仲間が「そうなの?」と尋ねてくれば、気仙沼での経験を話すこともある。

 震災から14年も経てば、当事者でない限り、記憶が薄れていくのは仕方がないことだ。
 もちろん、語り継がないといけないことだし、教訓を忘れないでほしいけれど、強制するのは違うと思う。

 だから思うのだ。
 釜石という名前を付けているチームとして、勝って、被災した地域で活動する選手たちが頑張っていると知ってもらいたい。
 その事実から元気をもらう人がいるかもしれない。3月にならなくても、震災のことを思い出すきっかけにもなる。

 だから今回の試合前日、胸の内を話した。
「位置付けとしてはレギュラーシーズンのひとつの試合かもしれませんが、釜石、東北という地域にとって、すごく特別な試合ということを頭に入れて頑張りたいと思っています」
 そして祈念試合に限らず、応援してくれる人たちのためにも勝利を届けたい気持ちを露わにした。ファンだけでなく、広く自分たちの存在を知ってもらうためにも、もっともっと勝ちたい。

元日本代表PRの畠山健介さんは、同じ気仙沼市松岩地区の出身で、鹿折少年ラグビースクール、高校の先輩。(撮影/松本かおり)


 今季の開幕から6試合を戦って1勝5敗。シーウェイブスは8位とディビジョン2の最下位に沈んでいる。
 復興祈念試合で勝ち、ここから一歩一歩浮上していきたい気持ちは強い。

 村上主将自身は、今季ここまで全6試合に出場。初戦を除いてすべて先発し、チームを引っ張っている。
 日大から2021年に加入し、今季が4年目。自分がチームの先頭に立つ重責を任されたことについて、「黙っていないからじゃないですか」と話す。

 プレー中、よく喋る。チームメートを鼓舞し、指示の声を出す。つなぎ役であり、ゲームをコントロールするのが仕事。「自分たちのテンポを作り、抜けた味方へのサポートプレー」が自分の強みと語る。

 小1の時に鹿折(ししおり)少年ラグビースクールに入り、中学を卒業すると、強豪の仙台育英高校へ。同校でも日大でも副将を務めた。リーダーシップは高い。

 シーウェイブスに入ったのは、思わぬ縁ができたからだった。大学の上級生の頃はコロナ禍。混乱の中でなかなか次ステージからの声はかからず、合同トライアウトも中止となり、アピールの場がなかった。

 しかし諦めなかった。自分の映像を集めたプレー集を作って、いろんなチームに送る。そんな時に、シーウェイブス関係者と話す機会を得た。
 幼い頃から近くに暮らし、その存在は知っていたものの、自分がプレーする場としては頭になかった歴史あるクラブに入ることが決まった。

レッドハリケーンズ戦前日の3月7日には、チーム全員で釜石市東日本大震災慰霊碑を訪ねた。(撮影/松本かおり)


 声の大きな26歳は、「釜石だから、というより、自分のベストを尽くすことを考えてプレーしています」と話し、自身の生き方そのものが、地域の人たちを元気にすることにシアワセを感じている。
 今季の目標は「チームを前に進めること」。それは、応援してくれる人たちを笑顔にすることと同じ。

「これまで、思ったことを勝手なタイミングで言っていたのに、キャプテンになってからは、みんなの前で、練習の前やミーティングの最初など、全員がこちらを見て、耳を傾けている時に話す。それが難しくて」と言うけれど、それもまた、楽しそうにも見える。

 逆境の中で、笑顔で生きてきた。それこそがリーダーの資質なのだろう。





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