Keyword
あなたを見たことがあります。
パブの中、偶然近い席になったご婦人からそんな風に話しかけられたら、キャッチ商法ではないかと身構えてしまうだろう。
それも海外だ。実際にソウルの夜に、引っ掛けられたこともある。
2024年11月のある晩、ロンドン郊外の街、テディントンでのことだった。街の真ん中にあるパブで偶然出会ったのがスウィーニーさん夫妻だった。
妻・ヘレンさんは日本への留学経験もある方。それで、日本語で話しかけてくれた。
夫のビル・スウィーニーさんは、イングランド協会(RFU)のCEO。世間話をしていると、「興味があれば、あらためてインタビューしますか」となった。日本代表がトレーニング拠点としている施設のすぐ近くで、「2日後の14時に」あらためて会うことになる。
イングランド協会のワークスペースもある建物の一室で、ヘレンさんの通訳を介してインタビューは実現した。
◆オリンピック協会から現職へ。
--現職に就いたのはいつですか。
「2019年5月にこの役職に就きました。その前はいろんな業界で働いていました。ユニリーバ(消費財メーカー)、マース(食品)、シェル(エネルギー事業)など、いくつか企業で仕事をしていましたが、私の情熱はスポーツにあった。
ビジネスで学んだことを活かしながらスポーツビジネスで働ければ理想的と思い、アディダスやリーボックで働くことになりました。
アディダスでは8年間働き、ドイツと東京で勤務しました。東京、アメリカ、中国にオフィスを持っていました。その後アメリカで、プーマでも働きました。
仕事で長く海外で働いたこともあったので、家族の理由もあり、イギリスに戻ることを決意しました。そのタイミングで英国オリンピック協会(BOA)から声をかけられました。Team GBのCEOとして仕事を始めました。
その仕事は面白かった。満足もしていました。しかし私の一番の情熱はラグビーでした。
そんな時、2018年にRFUからオファーがあった。2019年5月、RFUのCEOに就任するため、英国オリンピック協会を退職しました」
--生まれたのはイングランドですか。
「(両親の仕事の都合で暮らしていた)インドのカルカッタ(現コルカタ)で生まれました。6歳のときにインドを離れ、シンガポールに移りました。その後、12歳でイギリスに戻り、寄宿学校に通いました。両親はアジアに残りましたが、私はリバプール近郊のバーケンヘッドスクールに進みました。その学校はラグビーが盛んな学校でした」
--ラグビーのスタートですね。
「はい。しかし両親がアジアからイギリスに戻り、サリーに引っ越しました。そして新しい学校に通いましたが、そこはサッカーが主流の学校でした。そのため、そこでサッカーを始めました。
その後マンチェスターの大学に進み、経済学とマーケティングを学ぶのですが、サッカーは8年間続け、大学でも続けました。サッカー自体は特に好きではありませんでしたが、スポーツを通じて友達ができたので真剣に取り組むようになりました。そして、最終的にチェルシーFCに入ることになった。
その後、イングランド大学選抜チームのキャプテンも務めました。ただし、プロにはなりませんでした。
プロにならないと判断した時、再びラグビーに戻ることを決めました。21歳のときです。大学を卒業後、シェルに就職しました。スコットランドのアバディーンに住み、アバディーンシャー・ラグビークラブでプレーしました。その後、シェルで中東に行き、アブダビ・ラグビークラブで4年間プレーしました。その後イギリスに戻り、ロスリンパークというクラブでプレーしました。
日本滞在時はプレーしませんでしたが、香港では香港FCというチームでプレーしました」
--何歳までラグビーをプレーしましたか。
「首と背中を負傷し、32歳ごろにプレーをやめました」
--英国オリンピック協会のCEOは何年間務めましたか? また、印象深い経験を教えてください。
「4年間務めました。2016年のリオデジャネイロ大会のことは、よく覚えています。ロンドンでの2012年オリンピックは素晴らしい大会でした。リオは地元開催後の大会で、どのように目標を設定し、より良い結果を出すかが大きな課題でした。我々の目標は、『リオでより多くのメダルを獲得する』。新しい歴史を作ることでした。
イギリス(GB)チームはロンドンで65個のメダルを獲得しましたが、リオでは67個を得ました。さらに、メダルランキングで中国を上回り、アメリカに次ぐ2位になりました。
オリンピックはラグビーワールドカップとは異なって資金を潤沢に使えるため、アスリートのために独自のトレーニングキャンプや準備体制を整えることができます。ラグビーワールドカップでは会場や投資に制限がありますが、オリンピックでは準備に大きく影響を与えることが可能です。
リオに向けては、非常に早い段階でブラジルに進出し、ベロオリゾンテという街(高地)に高性能なトレーニングセンターを設立しました。この準備が選手たちのパフォーマンスに大きく貢献した。また、試合会場近くに複数のトレーニングセンターやサポートセンターを設置し、細部にわたる計画を立てました。その結果、非常に珍しいことですが、計画したすべてが成功し、完璧に機能しました。
その成功を受け、私は次の目標として東京2020オリンピックにチームを連れて行くことを楽しみにしていました。しかし、2019年にRFUに参加することになりました」
◆ラグビーに強いフォーカスを持つ。
--RFUで働くことになり、最初にやったことは何でしたか。
「オリンピックでの経験を振り返ると、RFUに来て驚いたことがありました。最も驚いたのは、さまざまな理由でRFUがハイパフォーマンスシステムを解体してしまっていたことです。
そのため私の最優先事項は、適切な人材を集め、若い世代のナショナルチームのパフォーマンス向上の道筋を再構築することでした。それを2020年から始めました。
まず、翌年のU20チャンピオンシップで優勝することに目標を定めました。(それはコロナ禍で2022年まで大会がキャンセルとなったこともあり実現しませんでしたが)、今年(2024年)そのタイトルを得ました(決勝でフランスを21-13と下す)。その後を担うチームはさらに強力です。18歳以下のチームも含め、今後のイングランド代表チームにとって素晴らしい人材のパイプラインが整っていると確信しています。
その目標を達成できたのは重要な成果ですが、同時に私が重点を置いたのは女子ラグビーへの投資で、成長させることでした。それは大きな優先事項であり、現在、私たちは世界ランク1位です。2025年にはイングランドで女子ワールドカップを開催します」
--マーケティングや経営管理だけでなく、CEOがラグビーの現場にとても近いところにいる感じを受けます。
「そうですね。ほとんどのラグビー協会が非常に似た構造だと思っています。特にニュージーランドラグビー協会とは非常に似ており、私は同ユニオンのCEOとよく話します。ニュージーランド代表のヘッドコーチはCEOとよくコミュニケーションをとっているそうですが、同じことが南アフリカ、スコットランド、ウェールズ、アイルランドにも当てはまります。
ラグビーに強いフォーカスを持つことが必要です。ビジネス運営に加えて、最終的にはラグビーのフィールドで成功しないと、ビジネスのパフォーマンスにも影響を与えるからです。
もちろん、時にはビジネスとラグビーをもっと分けられたらいいのにと思うこともあります。RFUに関するビジネス計画や財務のことも私がやらなければならないことですが、代表チームに悪い結果が続くと、計画に影響を与え、結果的にCEOである私に多大なプレッシャーがかかります。
ナショナルチームの成績がいいと、みんなが幸せになり、政治的な問題も減り、試合の管理も楽になります。やはり勝っている時の方が、物事がスムーズに進みます」
--代表チームのスティーブ・ボーズウィック ヘッドコーチとはどれくらいの頻度で話しますか?
「毎週です。ビデオ通話か対面で話します。昨日も、イングランドのトレーニングキャンプで彼と2時間過ごしました」
--今回、日本代表のエディー・ジョーンズHCとも会ったと聞きました。何について話しましたか?
「90パーセントがラグビーの話でした。ゲームにもっとエンターテイニングを持たせるにはどうすればいいか、もっと多くの若者をラグビーに引き込むにはどうすればいいか、ラグビーを国際的に拡大するにはどうすればいいか、といった話題でした。
また、各国の異なるパフォーマンスシステムについても話しました。いかに才能を育てるか、比較して意見を交換しました。さらに、2026年に始まる新しい大会、ネーションズカップについても話しました」
--2022年末にエディはイングランド代表のHCを解任されました。その決定について教えてください。
「そのような決定はパネル(特別な委員会)で決められ、その後、パネルの考えをRFUのボード(理事会)に提案をする。その提案をボードが承認する形になります。
その時のパネルは8人で私も含まれています。他は、ラグビーの世界の人間もいれば、RFUの外からの人もいます。また、RFUのボードメンバーからも何人か参加しました。さらに、独立したアドバイザーもいます。
ボードは12人いて、最終的な決定はそこで下します。パネルが提示する詳細なレポート、提案に対し、ボードは質問をし、なぜその決定に至ったのかの追加情報を求めることができます。そして最終的に、ボードは『支持する』と言うか、『反対する』と言います。
専門分野のパネルがある場合、ボードがその決定を覆すことは非常に稀です。ボードはその状況についてパネルがより深く理解していると認識しています」
◆結果だけでなく内容も正しく評価する。
--イングランド代表は2023年ラグビーワールドカップでブロンズメダルを獲得しました。若いチームで好成績を残した一方で、直近のテストマッチでは5連敗。どう評価しますか。
「非常に難しい状況です。2023年のフランス大会では若いチームだったのですが、先週の南アフリカ戦のスターティングの15人のうち、フランス大会での同カードに先発出場したのはわずか5人でした。移行期にあるような状況で、現在のチームは2023年のチームよりもずっと若い。このチームは2023年よりも大きな潜在能力を持っていると考えています」
--直近のテストマッチ5連敗についてはどう感じていますか。
「そのような一連の敗北があると、もちろん疑問が出てきます。しかし、私たちが敗北した相手を見ると、ニュージーランドに3回(アウェーで15-16、17-24、ホームで22-24)、オーストラリアに1回(37-42)、南アフリカに1回(20-29)敗れています。その分析やまとめには注意が必要です。
言い訳をしているわけではありません。これらの敗戦の詳細を見ると、ニュージーランド戦3試合のうちの1試合は勝つべきだったと思います。トゥイッケナムでのニュージーランド戦は最後のキックで負け、オーストラリア戦は試合終了間際の最後のプレーで敗北しました。
そして、南アフリカは現在最強のチームですが、その試合では非常に良い競争を繰り広げ、とても勝利に近かった試合だと思います。
これらの5試合を見て、本当にチームが正しい方向に進んでいるのか、それとも進んでいないのかを見極める必要があります。チームが正しい方向に進んでいると感じるなら、結果に関係なくその方向性を維持し、改善点を見つけるべきです。
もしチームが誤った方向に進んでいると感じるなら変革が必要です。
私たちは現在、チームが正しい方向に進んでいると信じています。時には勝っている時でも、実際には悪いラグビーをしていて勝利を収めていることもあります。そのような時にこそ変革が必要だと私は思います。ですので、純粋なラグビーの視点からすると、結果だけではなく、もっと多くの要素を考慮するべきです(この数日後に対日本代表戦で59-14と勝利)」
--内容では負けていないが、結果として負けた、と。
「そう思います。私たちはまだ準備が整っていない、もっと成長しなければならないのも事実です。なぜ南アフリカはワールドカップのノックアウトステージをすべて1点差で勝ったのでしょう? ラグビーでは1パーセント、2パーセントの改善があれば、その微細な差で運が味方してくれる。そして、その運とは自分で作るものだと思います。その点で南アフリカは優れていて、私たちは、まだ足りていない」
--このシーズン後には、またパネルを開く予定ですか?
「はい、毎回のシリーズ後におこないます。シックスネーションズや秋の国際試合後、毎回の区切りのあとにパネルを設置します」
--プレミアシップの運営の立て直しも大仕事ですね。
「プレミアシップの課題は財政面です(リーグ全体で損失総額は約58億円)。クラブの多くは利益を上げていません。損失を出しています。フランスも同じで、フランスのほとんどのクラブが赤字です。クラブは裕福なオーナーによって支えられているので、それは常にリスクを伴います。もし裕福なオーナーが飽きてしまった場合、いまのモデルが崩れることになる。日本では、リーグは企業によって支えられているので、少し違いますね。
ビジネスの世界はとてもシンプルです。収入が支出を上回らなければならない。しかし、私たちは支出が多く、収入が少ない。その問題をどう解決するかというと、放送権やより良い試合を提供して、もっと多くの人々に来てもらうことが第一です。まずは、それがプレミアシップの大きな課題です」
--JRFU(日本ラグビー協会)との関係はどうですか?
「非常に良好です。JRFUのケン・イワブチ(専務理事)とはワールドラグビーの会議でいつも一緒に過ごしますし、先週もダブリンで会いました。彼に連絡して、いくつかの問題について話をすることもあります」