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【楕円球大言葉】抽選に敗者なし。
大分東明戦後、抽選の結果を高鍋のロック、田村武士共同主将に伝える檜室秀幸監督。(撮影/松本かおり)

【楕円球大言葉】抽選に敗者なし。

藤島大

 スポーツを話す。書く。気をつけなくてはいけない言葉がいくつかある。

 檄を飛ばす。「監督、ロッカー室で大いに檄を飛ばしまして、これに選手は発奮」。正しくない。本来は「文書で決起をうながす。みずからの主張や考えを広く知らせて同意を求める」。檄は激にあらず。

 役不足。「緊迫のマウンド、新人ではいささか役不足だった」。正しくない。本来は「その人の力量より役が軽い」。

 そして抽選負け。こちらもあぶない。つい口にしたりキーボードに打ちそうになる。たとえば、こんなふうに。

「花園の2回戦。高鍋高校は大分東明高校と26-26の引き分けで惜しくも抽選負け」
 
 くじ引きでよくないほうが手元にある。それは敗北ではない。引き分けは引き分けだ。そうなのだ。抽選「負け(あるいは勝ち)」問題とはドローについて考えることでもあるのだ。

 もはや賛否というより「否」の声が大きそうだ。年末12月30日。高鍋高校はBシードの大分東明と花園第1グラウンドで堂々と渡り合い、ここは正確に「抽選により3回戦進出を逃がした」。涙また涙。よいほうを引いた側だって素直に喜べない。あれ、なんとかならんのか。決着をつけようよ。ラグビー愛好者の自然な心の動きである。

 花園で思い出すのは1990年度の3回戦である。東京の早稲田大学高等学院は大阪の大阪工業大学高校と19-19のドロー。同ラグビー部サイトの適切な表現を引くなら「抽選の結果、大阪工大高が準々決勝へ駒を進めました」。

 早大学院の指導陣に往時のジャパンの名将、大西鐵之祐さんの名があった。その人の発言をそっくり紹介する。「鉛筆より重いもん持ったことのない連中が旗に手をかけたんだ」。事実、大工大高は準決勝で、結果として、その優勝旗を握ることとなる熊谷工業高校に10-16の惜敗だったから、そんなに間違ってもいない。   

 当時は74歳。帰京後、倒れて入院する。後輩が見舞うと病室の外にまで叫びが聞こえた。「ヤマザキを中心にまとまっていけ!」。ベッドはいまだ花園ラグビー場なのだった。檄ならぬ指示を飛ばしていたのである。意識朦朧で名を呼ばれたヤマザキ君は幸せだなあ。

 後日。大西さんがこう言うのを自宅で聞いた。「医者は気をつかって病名をつけてくれたが、学院の抽選があまりに悔しくて、気がおかしくなったんだ。もう旗に手がかかっとったんや」。おかしくなった、のところ、本当は「くる」で始まった。

26-26。大分東明との好ゲームを終えてグラウンドから引き上げる高鍋の選手たち。(撮影/松本かおり)


 1986年1月の全国大学選手権決勝は明治大学と慶應義塾大学が12-12のまま終了の笛を聞いた。慶應の上田昭夫監督の「きょうは両校とも優勝の喜びに浸ろう」との申し出で抽選は翌日となる。結果、トライ数では「1-0」の明治は、社会人覇者とぶつかる日本選手権への進出を許されなかった。
 
 有名な逸話は本質に触れている。すなわちドローはドロー。優勝は優勝という視点である。一夜、美酒を仲間と酌み交わすに値する。あらためて2024年暮れの宮崎県立高鍋高校も格上とされたシード校と引き分けた。負けなかった。あの早大学院も。あの明治も。

 くじ引きでそっけなく決める。むごいかもしれない。でもドローへの敬意とも解釈できる。高校なら30分×2でスコアが並べば、それこそはまさに「引き分け」という永遠の結果だ。本年度の大学選手権のようにトライやその後のゴール数で判定する方式も存在する。しかしPGやDGはラグビー競技の正統な得点のはずである。

 花園予選の北北海道大会決勝。羽幌・富良野・芦別の3校で構成される旭川・空知合同と遠軽高校が17-17で並んで、好チームの前者を運は冷たくよけた。あの日の月寒ラグビー場にいて「かわいそう。改革せよ」と本稿筆者はプンプンしたくせに、いくらかの時間を経て「そっけなさに理なくはなし」との見方とも決別できずにいる。

 たとえば花園で10分×2をフルに行なう延長戦は決着にふさわしいかもしれない。しかしトライやゴールの数を問うのなら「運」に託す。あなたが抽選に泣いたとして、仮に30年後、心理はどうなのだろう。「あれはいい試合だった。引き分けでね。ただ、くじ引きがさ」なんて、案外、割り切れるのではないか。ポストに嫌われたキックの軌跡(ちょうど助走のときに横風が吹いた。呪われたよ)で判定されるよりも。

 1985年のこれも1月。全国社会人大会の準決勝、新日鐵釜石は東芝府中(当時)と19-19のドロー、決勝進出は抽選にゆだねられた。運命の時間を終えて、早世の元日本代表右プロップ、ホラさんこと釜石工業高校卒業の洞口孝治主将がロッカー室へ戻ってきた。

 表情は曇っている。チームのみんなは「ああ終わった」とあきらめた。やや間があく。低く沈んだ調子のまま「決勝へ出場することになったから」。弾んだ声が照れくさかったのだ。ファイナルで神戸製鋼を22-0で退けて7連覇達成のシーズンである。

 敗れずに進路を断たれた東芝府中のタフなWTB、やはり惜しくも故人、秋田の偉丈夫、戸嶋秀夫さんと何度か酒席をともにした。悔しくも誇らしい名勝負を振り返ってシシシと静かに笑った。自身の猛タックルでふたりをいっぺんに倒したのは長く語り草だ。鉄と骨と辛抱のバトル。密室の紙切れが行方を定めるほかはなかった。


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