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【楕円球大言葉】台湾のスタジアムの懐かしき者たち。
いい空気が流れる台南市立橄欖球場。(撮影/松本かおり)

【楕円球大言葉】台湾のスタジアムの懐かしき者たち。

藤島大

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 ここは台湾の台南。初めてなのに懐かしい。あの右プロップ。いつかどこかで見たことがある。

 首のある場所が判然とせぬ隆起した肩。感じよく緩んだ腹。眼光は闘争心と疲労の合わせ技で鋭いのにドロンとしている。スクラムを押しまくり、かたまりがほどけると、じっとたたずみ、つまり走り出さず、向こうへ去ったボールがこちらへ戻ってくるや、いきなり全身を古い寺の巨大な鐘として、あわれ至近距離に侵入してしまった相手バックスにぶちかまし、一撃で地面へ埋める。

 光景消去タックル。おそるべし。被害を受けた選手がみぞおちのあたりを押さえてなんとか立つ。ダメージを与えたほうはすぐには起きない。ぜーぜーと息をしながら、次のスクラムの機会を待つ。もちろん、そうなれば押しまくる。

 怪力上等。小空間では意外に俊敏。持久性欠如。いたなあ。日本にも。憎めぬあいつ、あの男、わが記憶にずっと棲んでいる。

スクラムと射程圏内のタックルに生きる台南楷爾チームの怪人(3番)。(撮影/松本かおり)


 その名も橄欖球場。橄と欖と球で「がんらんちゅう」だ。オリーブの球を表す。ラグビーである。12月7日の企業リーグ戦ファイナル。吊られた鐘をぶつけるヒットの3番は前座の3位決定戦、地元の台南楷爾チームの激突最前線の一角を担った。

 あらためて、この土地も、台湾の国内リーグの観戦も初めてなのに、なんでだろう懐かしい。冬でもぬくい空気。青々とはしていない天然芝の匂い。観客席の素直な興奮。どれもこれも、走れなくたって敬われるプロップの姿と同種の郷愁を招いた。

 加油! ヂャーヨウ! と聞こえる。英語で「Add Oil」。エンジン、吹かせ! とでも意訳したくなる歓声がしきりに飛んだ。運動選手を励まし、奮い立たせる有名な文句である。入退も移動も自由の質素なスタンドのファンは少数ながら活気がある。ちゃんと熱を帯びて、ただし悲壮はまるでない。

 かつての台湾代表FW、台南生まれの莊國禎さんが日本語で言う(1990年~92年に西日本社会人リーグの三菱自工水島ラグビー部所属)。

「野球がプロになる前までは台南はラグビーの人気があった。ここにも何千人もきました。わたしが街中で食事していると、よく声をかけられたほど」

 ちなみに「中華職業棒球聯盟」の発足は1989年である。その前年の88年11月7日、ラグビーの台湾代表(中華台北)は香港での第11回アジア大会で日本代表に19-20と金星の半歩前まで近づいている。

ピッチの選手たちが思うように動けば、スタンドの観客たちも気持ちをストレートに表す声援を送る。(撮影/松本かおり)


 さあ決勝。3連覇を狙う台北元坤と気鋭の長大海洋飼料がぶつかる。元坤は「ユウェンクン」と発音する。台湾初の「セミプロ」のチームであり、昨年度の関西大学のナンバー8、雨谷陸椰は欠かせぬ一員だ。

 攻守のレベルはリーグワンとは距離がある。キャッチやパスの正確性。フィットネス。セットプレーやブレイクダウンの精度。すべて発展途上だ。では観戦していて退屈か。いや、おもしろい。実におもしろかった。

 スタジアムにはラグビーの、というよりもスポーツの根源が剥き出しになっていた。ひとりひとりが橄欖のボールを抱えて走りたくてたまらず、実際、かわして、抜いて、当たるとすばしっこく、脚力に富み、力強い。なんべんも「おーっ」と発声してしまった。

「わたしはこうしたい。だから、わたしはこうする」。純粋な喜びと喜びが迷いなくぶつかって、観客もまた喜びを感じる。ラグビーって、これでいいんじゃないか。理屈を脇によけて、つい思った。

 ひとつ気づいた。台湾のプレーヤーはトライを許したあとに、総じて、よく倒れた。痛いのと悔しいのでグラウンドのあちこちにうずくまる。そこだけ切り取ると弱々しく映る。しかし、そんな感情にまっすぐ従う態度は、いざパスやキックをつかんでランを始めると、こんどは大きな激しさや楽しさへ転換される。人間的なのである。

 常翔学園から関西大学の日本人プロの「リクヤ」こと雨谷陸椰はフィールドを俯瞰、次や次の次の展開に備えては、規律保持と陣地獲得にもっぱら心を砕いた。6番にして9番で10番で12番であった。

 開始直後。ラインアウト起点の元坤の最初の展開。フランカー雨宮が球を受ける。この国のラグビー界では有名なので警戒はタイトだ。そこで裏をかく計画をあらかじめ準備していた。ランのふりして短いキックを防御ラインの後方へ落とす。裏目に出た。あっけなく逆襲を浴びて、しばらく勢いを渡した。

キックオフ直後、サイン通りに蹴ったボールを追う雨谷陸椰。(撮影/松本かおり)


 あそこは、そのものずばり、視界前方が渋滞していても、みずからが斬り込むべきであった。守る側の心理は「わかっちゃいるけど、へっちゃらでくる」。いやなもんなのだ。際立つリーダーシップを評価される好漢リクヤ、いつかコーチになったら役立つ「しくじり」だ。

 この日の朝。元坤のオーナー、医師の杜元坤(トゥ・ユウェンクン)さんを取材した。元台湾医科大学/巨人クラブのプロップ。以前は現在より40kgほどウエイトがあり、国内では指折りの実力を誇った。神経再生などの国際的権威、研究や実験を経て編み出した革新的術式で名をはせる。

 なんとIQは163。「ジャーナル(医学誌)は読みません。見るのです。すると画像のように頭に入る」。劇画の主人公のごとき名医は、貧しき人々のための医療やスポーツや音楽の振興に底の抜けたバケツよろしく私財を投じる。列の途切れぬ手術希望者にはまさに不眠不休で対応する。そうした生き方は、畏敬をこめて「クレイジー」とも「マッド」とも称される。ただし、この狂気のドクター、なんとも柔和なのだ。

「かつての台湾ラグビーは日本の導きで力をつけた。いまはそうでなくなってしまった。革命を起こさなくてはなりません」

 すべての高校のラグビー部に向上をうながす原資を寄付。草の根およびトップの大学や社会人を支えながら、具体的な催しとして「元坤杯7人制国際大学ラグビー招待大会」も実現させた。5回目の本年は12月28、29両日に台北で開かれる。日本の天理、関西、拓殖、名古屋の各大学に加えて韓国とシンガポールからも参ずる。

 スポーツ文化支援のための「元坤運動文創產業」会長でもある。オフィスを台北の一等地に構えた。

「あそこにひしめく会社はマネーを稼ぐために存在します。わたしの会社はマネーを払うためにある。そのことが誇りです。ああ、自分は他者(ひと)とは違うんだと」

医師で台北元坤オーナーの杜元坤氏。試合を決定づけるトライに両手の親指を立て、喜ぶ。(撮影/松本かおり)


 橄欖球レボリューションの端緒は台北元坤チームだ。クレイジーでマッドな医師は律儀にスーツをまとい、なかなか好転せぬ決勝の一進一退を立ったまま見つめる。ミクロの難手術をひょいひょいとこなす親指は本日に限り、元坤ターンオーバー成功の際に宙に突き上げるために存在した。

 ハーフタイム。円陣のカオス。次から次へそれぞれが情熱的にしゃべる。いったいだれがキャプテンで監督なのかの特定は難しい。ああ、昔、威勢のよい大学や高校のクラブにこういう雰囲気があったよなあ。統制なし。元気あり。またもまたもや懐かしい。

 台北在住の山本紅樹さんが笑う。「元坤は個性的な人間がたくさんいて、いつも、こういう感じです」。明朗の奥にタフネスののぞく人は伏見工業高校ラグビー部の花園ファイナリストである。1997年度に國學院久我山高校と旗を競った。惜しくも敗れ、なお最後のトライを決めた。この稿の筆者は美しい名のWTBの切ないようなフィニッシュをスポーツ誌に書いた。

 今回、うれしい「再会」となって宿泊先ロビーにその『ナンバー』を持参してくれた。古い雑誌をかくもきれいに残しているとは。そのことに大学卒業後、半導体関連企業の腕利き社員として台湾との縁を得て、いまも根を張る人生の何事かは示されている。

 円陣を成さぬ円陣に指示が流れる。

「ノーペナルティー。エリア。エリア」。

 正しい。声のぬしは雨谷陸椰である。

 風上の後半。終盤にようやく安全圏に逃げられた。34-15。組織力、具体的には攻守のポジショニングの意識に差があった。

 長大海洋飼料は黒星にも印象を残した。ひとりひとりが「わたしはこうする」の熱をこれでもかと発散する。ぶっとい腿と壮大な腰回りの背番号14は、必ず、ひとりは置き去りにするか跳ね飛ばす。そのたびに応援太鼓担当の中学生たちが口をあけて身を乗り出し、ついでにドコドコドコと短く軽く叩く。好きな台湾映画、侯孝賢監督の「風櫃の少年」のシーンみたいで、鼻の奥につーんときて、危ない、唾を呑んでこらえた。

 ドコドコドコを呼ぶエース、そこが魅力なのだが、パスをしない。あるいは、できない。前にめっぽう強くて斜め後ろにいくらか弱い。いた。こういうWTBがいつかの日本にいた。いたはずだ。青春時代の山本紅樹ならひらりとかわし、さらりと止めてみせるだろう。

「おじいさんはキムラヨシオ」の長大海洋飼料のLO李傅閔。(撮影/松本かおり)


 長大海洋飼料の右ロックは防御のカンに長けていた。まじめさと要領のよさが同居している。元代表の莊國禎さんが「彼はフランカーしたら、いい仕事をしますよ」と解説した。目利きのお墨付きだ。

 本人があいさつしてくれる。「木村と申します」。李傅閔はとぼけた顔で言った。えっ。莊さんの種明かし。「彼のおじいさんが戦争中に日本の工場で働いた。そこでの名が木村だったらしい」。忘れてはならぬ歴史の事実だ。

 あとで背番号5にカタコトの英語で確かめたら「イエス。わたしのおじいさんはキムラヨシオでした」。ところで、あなたは学生? 「イエス。タイワン・ナショナル・ノーマル・ユニバーシティー」。国立台湾師範大学である。そちらのラグビー部でも活動している。

 李傅閔。リ・ヅワンミンと読む。いつか台湾代表の主力となって不思議はあるまい。よかった。世界のだれも知らない「ひいき」ができた。





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