logo
【南アフリカコラム】世界に散る南アフリカの才能たち。
もうひと伸びが期待されるSOマニー・リボック。写真はRWC2023時。(撮影/松本かおり)

【南アフリカコラム】世界に散る南アフリカの才能たち。

杉谷健一郎

◆Players Drain – 選手流出


 南アフリカには“Saffa”または “Saffer”という独特な言葉がある。これは、南アフリカ生まれだが現在は海外に住んでいる南アフリカ人を指す。

 したがって、南アフリカの新聞のスポーツ欄にはよく「今週のSaffa」というようなコーナーがあり、世界各地に散らばったSaffaラグビーマンたちがその週にどのような活躍をしたかという記事が特集されている。
 言い方を変えれば、そのような特集が組めるほど多くの南アフリカの選手が海外に行っているということだ。

 周知のとおり今や南アフリカは世界最大の“ラグビー選手輸出国”になっている。南アフリカはニュージーランドやオーストラリアと違い、代表チームの選考条件に自国チームへの所属という“縛り”がない。つまり海外移籍の自由度が高い。
 そのため、スプリングボックス級、またはそれに準ずるトップ選手たちが高収入を求めて海外チームに活躍の場を移した。

 例えば11月16日のイングランド戦のスプリングボックスの先発メンバー15名中6名、そしてボムスコッドも含めると23名中11名が海外チームに所属している。
 これは他の強豪国にはない事象である。

 さてこのトップ選手たちの海外移籍は南アフリカ本国では “Players Drain(選手流出)”と揶揄され、ラグビーファンから決して好意的には捉えられていない。この“Players Drain”に関しては改めて別の機会に弊コラムで詳しく論じたいと思う。

“Players Drain”の主な懸念としては、トップ選手が抜けたことによる国内リーグの空洞化と、移籍した選手がそのままその国の代表選手になることである。
 特に後者については、先のスコットランド戦(11月10日@マレーフィールド、エディンバラ)のスコットランド代表メンバーを見た時に、そのファンの懸念が垣間見えた。

 まずスコットランド代表メンバー23人の中に南アフリカ人選手が3名含まれていた。先発メンバーにはWTBドゥハン・ファンデルメルヴァ(スコットランド代表キャップ43)、PRピエール・スクーマン(同36)、そしてリザーブにはFL/HOディラン・リチャードソン(同5)が名を連ねた。

 ちなみにこの日のスコットランド代表メンバーには他にもこの日キャプテンを務め、かつてヤマハ発動機ジュビロ(現、静岡ブルーレヴズ)でもプレーしたCTBシオネ・トゥイプロトゥ、FLジャック・デンプシーのオーストラリア勢、SHベン・ホワイト、PRエリオット・ミラー=ミルリス、FLジョシュ・ベイリスのイングランド勢、ニュージーランド出身のFBトム・ジョーダンなど南アフリカ以外の海外出身者も含まれている。

 特にデンプシーはワラビーズのキャップを14持ち、2019年ワールドカップのワラビーズ・スコッドでもある。(グラスゴーに移籍後)しばらく名前を聞かなかったが、スコットランド代表になるために3年間あえて“潜伏”していたのかもしれない(※現行のワールドラグビーのルールでは、最初の代表チームで最後に試合出場してから36か月間以上経過していれば、出生国か両親、祖父母の出身地に限って代表する国を一度だけ変更することが可能)。

 いずれにせよホームネイションズの中でもスコットランドとアイルランドは海外移籍の選手を“積極的且つ計画的”に代表チームの戦力に取り入れている印象だ。

 ファンデルメルヴァの説明は不要かもしれない。193cm、106kgの体躯で、南アフリカの一昔前の典型的な大型WTBというイメージで、とにかく人に強い。ただしその体格を活かした暴走機関車的な突進も見せるが、細やかなステップも切れるので、対面がタックルの的を絞りにくい。
 ファンデルメルヴァは今やスコットランドだけではなく、2021年のブリティッシュ&アイリッシュ・ライオンズの南アフリカツアーのスコッドにも選ばれ、英国のエースとして君臨している。

 ファンデルメルヴァはもともとブルズのアカデミー出身だ。2016年にはブルズの一員としてカリーカップにも出場したが、同年に仏TOP14のモンペリエへ、さらに翌年PRO14のエディンバラへ移籍した。
 2020年以降スコットランド代表に選出されている。

 スクーマンもブルズの出身だ。2014年にはカリーカップに出場し、2016年にはスーパーラグビーに昇格している。
 スクーマンはブルズでルースヘッド・プロップでの出場が多かったスプリングボックスのトレヴァー・ニャカネを3番に追いやり、1番として定着した矢先の2018年、やはりエディンバラへ移籍し、2021年からスコットランド代表のジャージを着ることになる。

 当時、筆者はブルズの本拠地であるプレトリアに滞在していたが、ブルズファンの友人が、ブルズで育てたスクーマンが「まさにこれから」という時にスコットランドに奪われたと嘆いていたのを記憶している。

 最後にリチャードソンに関しては、実は現在もシャークスで活躍している選手であり、ユナイテッド・ラグビー・チャンピオンシップの試合にも先発で出場している。
 ファンデルメルヴァとスクーマンの場合は、当時のワールドラグビーの規則による“3年間(※新条件では5年に延長された)継続的に当該国にて居住”という条件をクリアしたため、代表資格を得たが、リチャードソンの場合は、父親がスコットランド出身ということで代表資格を得ているため、スコットランドに居住する必要はない。

 南アフリカの場合、もともと白人人口の中でも英国系は割合が小さく、特にラグビーに関しては体格の良いオランダ系の選手が多くを占める。したがって、英連邦であるニュージーランドやオーストラリアの選手にはよくあるが、リチャードソンのような血縁関係による代表資格の取得はさほど多くはない。

スコットランド戦、南アフリカ出身のWTBドゥハン・ファンデルメルヴァをLOエベン・エツベスが追う。(Getty Images)

 いずれにせよこの3名の共通点としては、皆、南アフリカの高校代表やUnder20などのユース代表に選出されており、南アフリカ本国においても将来を嘱望されていた才能ある選手たちだった。もちろん、この3名がスコットランド代表の話を断り、スプリングボックスを目指したとしても世界最強のメンバーになれる保証はない。
 当然、この3名もスプリングボックスに入れる可能性と自分の実力やプレースタイルなどを熟考の上、スコットランドを選んだのだと思う。

 しかし、南アフリカのラグビー関係者やファンからすると、スプリングボックスとの試合でファンデルメルヴァがスプリングボックスのディフェンス網を突破し縦突進するシーンを見ることになれば、南アフリカから才能が流出、そして南アフリカラグビーの損失と感じざるを得ない。

◆世界一へ返り咲き。



 さてそのスコットランド戦をふり返る。

 スプリングボックスはスコットランドとはアパルトヘイト後、国際ラグビーに復帰した1994年以降22回テストマッチをおこなっている。結果的にはスプリングボックスの20勝2敗で圧倒的な勝率を誇る。
 特に直近は2012年以降、スプリングボックスが9連勝しており、ホームネーションズの中でも比較的相性が良い。

 だからといって今回のスコットランド戦を軽視していることはなく、スプリングボックスは10月28日から1週間、イギリス海峡のチャネル諸島にある風光明媚なジャージー島で合宿を行ってから試合に臨んだ。

 スプリングボックスの先発メンバーの総キャップ数は725、全メンバー23名中、21名がワールドカップの優勝を経験しているという豪華布陣だ。

 そして、この日のボムスコッドはついにFW7人-BK1人という、FW重視というか偏重とも言えるメンバー構成になった。
 特に英国のメディアからボムスコッドのメンバー構成に関して批判めいた記事が書かれているが、ラッシー・エラスムスHCは「グラント(ウィリアムス)はスクラムハーフとウイングの両方でプレーできる。クワガ(スミス)は必要に応じてルースフォワード、そしてウイングに回れる。ピーター・ステフでさえウイングにするかもしれない」とまったく意に介していない。

 結果としては32-15のダブルスコアでスプリングボックスが快勝した。スプリングボックスは4トライ、スコットランドの15点はすべてPG、つまりノートライに抑えられた。

 前半4分にSOハンドレ・ポラードからのドンピシャのキックパスがWTBマカゾレ・マピンピに渡り先制(ゴール失敗、5-0)。
 しかし、スコットランドの奮闘もあり、その後、ややもたつく。前半10分に相手がイエロー(のちにレッド)で一人減になった状況も活かせず、逆にスコットランドに2つのPGを献上した。スコットランドの重心であるSOフィン・ラッセルが難なく決め、逆転を許した(5-6)

 しかし前半30分、ラインアウトのこぼれ球をPRトーマス・デュトイが130㎏の巨体を前傾させた姿勢で10mほど快走してトライ(12-6)。再び逆転した。
 その後、スコットランドがPGを加えたが、前半34分にFBウィリー・ルルーからの絶秒のキックパスが決まり、マピンピが2本目のトライ。前半は19-9で終了した。
 ルルーはこの日98キャップ目でセンチュリオンまであと2試合。ベテランのなせる業でプレッシャーを受けながらの見事なキックパスだった。

 後半は48分にマピンピがシンビンとなり、さらにラッセルが2PGを決めて4点差まで迫る(19-15)。しかし、後半46分にボムスコッドがピッチに放たれ、FWが大黒柱のLOエベン・エツベス以外全員交代となる。
 これでスプリングボックスが再び勢いづいて後半65分、74分にポラードが2PGを返し(25-15)、最後は終了間際にスクラムを5メートルほど押し込んで交代のNO8、ヤスパー・ヴィーセがグラウンディングした(32-15)。
 最後は少し崩れたが、これはスクラムトライと言ってもいいだろう。スクラムはボムスコッドが交代した後半の方が良かった。

 エラスムスHCは試合後、相手にPGを5つ与えたこともあり、「決して誇りに思えるパフォーマンスではなかった」と自らを戒めたが、「フィン・ラッセルを相手にして、ノートライに抑えたことは良かった」と称えた。

 この日の勝利、そして2日前にアイルランドがホームで8年ぶりにオールブラックスに敗れたこともあり、ワールドラグビーのランキングでは南アフリカが1位に返り咲いた。
 そして、2位にはオールブラックスが上昇し、アイルランドは3位に下降した。

◆イングランドを返り討ち。



 スコットランド戦から6日後、スプリングボックスはこのオータム・ネーションズ・シリーズで最大の難関であるイングランド戦を迎えた。

 イングランドは2019年、横浜国際総合競技場(日産スタジアム)でのワールドカップ決勝での惨敗、そして昨年フランス・ワールドカップ準決勝での1点差の惜敗と悔しい負けが続いている。今回は聖地トウィッケナムでの一戦ということもあり、何としても勝利をもぎ取りたいところだ。

 さて試合を振り返る前に、イングランドにはスコットランドのように南アフリカ出身の選手がいるのだろうか? イングランドの場合、プレミアシップ・ラグビーを擁し、スコットランドと比較するとラグビー人材が豊富なために海外出身の選手に頼る必要性がないように思われるが…。

 それが、過去に遡れば意外といるのである。
 最多キャップは75キャップのレジェンド、BKのユーティリティプレーヤー、マイク・キャットである。
 キャットはシヤ・コリシの出身校でもある名門グレイハイスクールを出た後、母親がイングランド人だったこともあり、自分の意思でイングランドに移住した。その後、バースやロンドン・アイリッシュでプレーし、1994年にイングランド代表に呼ばれ、さらに1997年、2001年のブリティシュ&アイリッシュ・ライオンズにも選出された。
 現在はアイルランド代表のアタック・コーチを務めている。

 続くのは39キャップのPRマット・スティーブンス。
 スティーブンスはダーバン近郊のキーズネイ・カレッジ卒業後はウェスタン・プロビンズと契約し、南アフリカのU18及びU19に選ばれた。その後、両親の母国イングランドのバース大学に進学。所属チームとしてはバースやサラセンズ、トゥーロンなどの名門クラブを渡り歩き、一時期はシャークスでプレーしたこともあった。
 イングランド代表には2004年に選出され、スティーブンスも2005年、2013年と2回、ブリティシュ&アイリッシュ・ライオンズに選出される栄誉を得た。現在は南アフリカへ戻り、ケープタウンで不動産業を営んでいる。

 もう一人挙げればキャップ26のCTBブラッド・バリットだ。イングランド代表では若き日のマヌ・ツイランギとCTBコンビを組んでいた。
 ダーバン出身のバリットもスティーブンスと同じくキーズネイ・カレッジを卒業しており、その後、シャークスと契約。シャークス時代は南アフリカのU20やエマージング・スプリングボックスに選出された。
 2008年に名門サラセンズに移籍し、2020年に引退するまで12年間在籍した。2013にはスティーブンスとともにブリティシュ&アイリッシュ・ライオンズに選出されオーストラリアへ遠征した。現在もイングランドに残り、実業家として活躍している。

 この他にもキャップを1~10獲得した南アフリカ出身の選手はプロ化以降で6名、それ以前でも6名存在している。
 イングランドの場合は、ラグビー協会からのスカウトではなく、両親や祖父母がイングランド出身という理由で選手自らが活躍の場としてイングランドを選んだケースが多いようだ。

 今回のイングランドスコッドには南アフリカ出身の選手は含まれていないが、イギリス自体が移民国家でもあるのでSOマーカス・スミス(フィリピン出身)やLOマロ・イトジェ(両親がナイジェリア人)などのように各選手のバックグラウンドは多様である。

どこまでも策士のラッシー・エラスムスHC。写真はRWC2023時。(撮影/松本かおり)


 さて試合であるが、スプリングボックスはFW5名、BKは7名全員が入れ替わった。特筆すべきはタイトヘッド・プロップにウィルコ・ロウを3年ぶりに呼び戻したことである。
 ロウは昨年ブルズに戻ってきたが、それまでスミスが所属するイングランド・プレミアシップのハーレクインズで3年間プレーした。特に2021年にはリーグ優勝をしており、イングランドでの経験を評価されての起用だろう。

 またフライハーフにはエラスムスHCが「二度目のチャンスを与える」と公言したSOマニー・リボックが先発メンバーに起用され、安定のポラードは控えに回った。
 エラスムスHCは「彼(リボック)がアルゼンチンのテストマッチの時のように、この試合を乗り越えれば、さらに良い選手に変身するだろう」と激励のメッセージもつけ加えた。

 そして今回のボムスコッドはFWが5名、BKが3名と、いつもよりは“普通”のポジション構成になった。イングランドのキック対策に備えてとのことだった。

 試合はイングランドが最初に動いた。前半4分にスミスが右を攻めると見せかけて左に移動し、最後はWTBオリー・スライトホームがトライを決めた(0-7)。

 しかし、前半11分、SHグラント・ウィリアムズが密集サイドをうまく駆け抜け中央にトライ(7-7)。SHは前週のジェイデン・ヘンドリクセ、本日、ボムスコッド入りしているベテランのコーバス・ライナー、ワラビーズ戦で活躍した新鋭モルネ・ファンデンバーグなど皆、それぞれ宛がわれた試合で活躍しておりポジション獲得の競争は激化している。恐らくはこれにファフ・デクラークが加わることになる。エラスムスHCも今後、SHの選考には頭を悩ますことになるだろう。

 その後、スミスがPGを決めるが、直後の前半17分、イングランドのSHベン・ホワイトのボックスキックをLOエツベスがチャージ、こぼれ球を拾ったスミスがさらに蹴ろうとしたキックをFLピーターステフ・デュトイが再びチャージし、ゴール内に転がったボールを自ら押さえた(12-10)。
 身長2メートル超の2人はその長身を活かし、これまでも頻繁にチャージを成功させている。しかしこの2連続チャージでのトライは大型FWを擁するスプリングボックスならでのスーパープレーで見事だった。リボックのコンバージョンは外れたが、一番難しい角度だったこともありこれは仕方がなかった。

 リボックは前半22分、WTBチェスリン・コルビにキックパスを送りこれが見事に決まった。確なキックも見事だが、コルビは相手ディフェンスに捕まってもおかしくないタイミングにもかかわらず、プレッシャーがかかる中落ち着いて処理し、トライとなった(19-10)。

 その後、前半26分にイングランドFLサム・アンダーヒルがラックサイドをついてトライを返し、19-17で前半を折り返す。

 スプリングボックスは前半33分に強力スクラムの起点となっているPRオックス・ンチェが膝の上に裂傷を負い負傷退場となった。エラスムスHCは試合後、ンチェの前半での退場により「予定していた試合展開ができなかった」とンチェの存在がチームに与える影響の大きさを正直に打ち明けた。

 後半はスプリングボックス、イングランドともにトライしたかに思えた瞬間があったが、その前のプレーでペナルティがあってノートライとなり、お互い勢いをそがれた。
 後半52分、59分にスミス、交代したポラードがそれぞれPGを決め22-20となる。依然として差は開かない。

 均衡を破ったのはスプリングボックス。後半63分、CTBダミアン・デアレンデが持ち前のパワーでラインブレイクしてWTBコルビにパスを送る。コルビは対面のWTBスライトホームを振り切り、ゴールまで約30メートルを走り切った(29-20)。この日2本目のトライである。

 後半69分、PRンチェの代わり入ったPRゲルハルト・スティーンカンプがシンビンとなり、14人で残り10分を戦うことになった。スプリングボックスは全員がよく動き何とか難局を乗り切った。

 エラスムスHCは「パフォーマンスに満足していないのは確かだ」と辛口から入ったが、「我々は最後まで諦めずに戦い、失敗の原因を追究することを信条とするチームだ。それがグループとしての結束を高めている」と目指す方向が間違っていないことも主張した。

 スコットランド、そしてイングランドという強豪をほぼ異なるメンバーで撃破した。エラスムスHCが目標としているレベルの高い選手層の拡大は着実に遂行されている。

 スプリングボックスはすでにカーディフに入り、最終戦となるウェールズとの一戦の準備に入っている。6月のウィンドマウス開幕戦では41-13で一蹴できたが、逆にそれだけの大差がついた相手とはやりにくいかもしれない。

 しかし、個人的には今はそのスプリングボックス・ウェールズ戦よりも、今回、ワールドカップチャンピオンのスプリングボックスと対等に戦ったイングランドに対し、強豪国相手では惨敗が続いている日本代表がどう挑むのか、そちらの試合の行方が気になって仕方がない。


【プロフィール】
杉谷健一郎/すぎや・けんいちろう
1967年、大阪府生まれ。コンサルタントとして世界50か国以上でプロジェクト・マネジメントに従事する。高校より本格的にラグビーを始め、大学、社会人リーグまで続けた。オーストラリアとイングランドのクラブチームでの競技経験もあり、海外ラグビーには深い知見がある。英国インペリアルカレッジロンドン大学院経営学修士(MBA)修了。英国ロンドン大学院アジア・アフリカ研究所開発学修士課程修了

ALL ARTICLES
記事一覧はこちら