ワールドカップ。W杯。いつも表記に迷う。このごろはRWCも用いる。なんとなくカタチが好きなのだが、わかりにくいといえばわかりにくい。
ということでワールドカップ。あの緊張と高揚の舞台を踏んだシニア格は違うなあ、と思った。先日のジャパンのオールブラックス戦だ。続けざまの失点に惨敗がおいでおいでを始めても、姫野和樹、立川理道あたりは落ち着いている。放送の解説席のモニターに表情が映ると、頼りになる雰囲気が自然に伝わってくる。
2019、23年大会出場の坂手淳史も実に堂々としていた。31歳の背番号2。同ポジションの巨星で現在38歳、かの堀江翔太の近くにいつもいたので「若」のイメージがなかなか消えなかった。ところが10月26日の日産スタジアム。世界最強級の代表とスクラムで渡り合う姿は、思考の深さを示す「老」の字もふさわしかった。
オールブラックスは史上最もヘビーな「8人で950kg」(RNZ)のFWを編成した。昨年のワールドカップ決勝の先発より「49kg重い」(同)らしい。両プロップのタマイティ・ウィリアムズとパシリオ・トシはともに140kgに達する。ちなみに再三の突進で場内の悲鳴を呼んだフッカー、アサフォ・アウムアは108kg。
ジャパンの先発のフロントロー、岡部崇人(105kg)、坂手(104kg)、竹内柊平(115kg)は総じて組み負けなかった。もちろんセットピースとは「8人でひとつ」なので前の3人のみで優劣は決まらない。ただし2番、もしくは16番が相手にしてやられたら必ず押される。
後半6分まで出場の坂手その人に試合後に聞いた。スクラム、いかがでしたか?
「うまく組めたかと思ってます。少し地面が悪い部分はあったのですが、前日練習でわかっていました。自分たちの低さという武器をどう使うか、あまり足を動かすと滑るので、まず8人が固まって、しっかり地面を噛んで、前にプレッシャーをかけることを意識しました」
ジャパンはオーソドックスにまっすぐ当たる。正攻法(ゆえに難しい)を進めながら必要なスキルや筋力の獲得に励む段階だ。ただし条件や向こうの特質によっては応用も求められる。たとえばジェイミー・ジョセフ体制のワールドカップを経験していれば、そのときのノウハウも脳内倉庫にしまわれており試合中の微調整を滑らかにさせる。「老」とはそれだ。
ジャパンのスクラム担当コーチのオーウェン・フランクスは元ニュージーランド代表のプロップである。140kgの1番、ウィリアムズなんてクルセイダーズのいわば弟子のひとりだ。
であるならジャパンのいまのスクラムもオールブラックスと同じ筋なのですか?
「違いはあります。横から見てもらったらわかると思いますけど、高さがまったく違います。ロックのセットアップの形も異なります」
そう言うと、世界中のよきラグビー選手と同じように仲間をたたえた。
「今週(のジャパンの練習で)いちばん成長したのはロック陣の押しのところです。週のスタートでは、あまりいい感じで合ってなくて、前3人が当たってから後ろ5人が当たってくるという現象もありました。それをみんなで噛み砕いてコミュニケーションをとることによって一緒にヒットできました」
向こうのフロントローは重いが比較的若い(左から24、27、26歳)。ま、経験は浅いな、という感じですか?
「組み負ける感じはなかったかなと。地面が悪いので(相手の)重さだけでグッとグラウンドが動いてしまう難しさはあったんですけど」
放送では上空のカメラがスクラムの全体像をとらえた。赤白の2番は黒の2番をうまく御している。体を向こうからとらえて左へ向けさせた。タイミングやスペースの駆け引きもゆずりはしなかった。
「思ったよりオールブラックスは間合いを詰めてきた。近いなと。ただ、そこから離れていくような感じもあったので」
なるだけ距離を確保してドカーンとヒット。体格に上回る側はしばしばそうする。インパクトを優位に見せて、崩れた際のペナルティーをかっさらう報酬もある。
しかし、横浜のオールブラックスは万事にきれいに向き合った。そのうえで、やはり、そちらが得策かと「離れ」もした。どっこい坂手淳史はさらにうまく「間」を制御してみせる。
後半、互いにベンチのフロントローが登場、いくらか様相も変わった。ただ少なくともジャパンの先発フッカーは、楕円球王国のトップにおける二番手、三番手級との対峙では貫禄があった。
リーダーが目の前にいるのだから、もうひとつ、次の質問を。
次のワールドカップに備えるジャパンは新しいチームなので、どうしても「負けても光明あり」となりがちです。ここについては?
「日本代表として結果は大事。成長段階ではもちろんあります。それでも目の前のテストマッチのひとつひとつを100%、勝ちにいく姿勢がないと成長もしない。ただ、いまも練習は試合より速く激しい。そのことを結果に結びつけていかないと」
京都成章高校、さらに帝京大学での若き日は、ハードなタックルの印象が強い。言語明瞭かつ態度明朗のその後のキャプテン像も鮮やかだ。
堀江翔太が現役を退き、原田衛の台頭は確かとなり、いま坂手淳史こそは胸に桜のスクラム最前列中央に欠かせぬ存在である。対オールブラックス。前半22、25、31、34、40分と続けざまのトライを浴びてスコアは崩れた。あの時間帯、なんというのか、いい顔をしていた。
「あそこはネガティブになり過ぎないように次の仕事に(意識を)向けられたかなと。僕の仕事はセットプレーを安定させること。何が起きているのか冷静に判断する。(ラインアウトの)スローイングも力が入ると、いい球を投げられないので。ただ姫野も僕もハルさん(立川)も、もっとチームをドライブしなくてはならない」
あらためて19-64の完敗。前半はセットプレー起点の仕掛けで見事なトライを奪うも、あっけなくライン防御が乱れるなど7トライを許した。後半、ブラックの壁にはねかえされるアタックの質はやや単調ながら、なお球を簡単には渡さず、そのことで失点を抑えた。
「急」をきわめる態度が「緩」の価値を思い出させる。やがて求められるのはゲーム運びのみならず、心理の「緩急」かもしれない。ここの領域を担うのは熟練のワールドカップ組、この日の先発なら、姫野に立川、そして本稿主人公である。
「もっと体を張らないと」
みずからに言い聞かせる調子だった。京都の寺の鐘をぶつけるようなタックルで落球を誘い、次のスクラムでは写経の筆づかいのごとく繊細に間合いを測る。急にして緩。剛にして柔。はじける活力の衰えぬ老師のさらなる出番は訪れる。