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近年のラグビー界でもっともスリリングな場面のひとつ。みんなヒヤっとして、ホッと安堵のため息をついた。そこから話を始めます。
2011年12月14日。日本国の関東にある埼玉県の狭山市。セコムラグビーフィールドが舞台である。トップイーストリーグのディビジョン2。ホームのセコムラガッツがサントリーフーズサンデルフィスを敵陣の深くでしきりに押し込む。後半終了近く。すでに30点近くの大きなリードを得ている。
ゴール前。さらに猛攻。ここでラガッツの左プロップ、山賀敦之へ楕円球は渡る。「たくさん」とはとても書けぬ観客のそのまた一部に小さな悲鳴がもれた。
ついで「あぶない!」という叫びも。守勢のサンデルフィスのファンではない。セコムラガッツを、いままさにボールを持った、いや持ってしまった男を愛する者たちから。
このとき37歳1カ月と14日。仏の風貌のスクラムの鬼、山賀敦之の眼前には無人のスペースがぽっかりとあいた。インゴールまでの快適な道筋がおいでおいでをする。このままではトライできてしまうではないか。
競技人生、最大級のピンチである。保持するでもなく保持してきた「連続ノートライ」がついに潰える。そこで「あぶない!」。しかし。だが。この先は4年後の本人の解説を。
「歩けばトライの距離。動転して、なぜかターンしてしまいました」
目撃者の証言では「もといた場所の密集へ吸い込まれた」。かくして39歳と4カ月で訪れる引退表明までユニークなレコードはきれいなままであった。
なぜ、いま、この逸話を? さっき、パソコンを開いて、なにかコラムの参考にとニュージーランド・ヘラルド紙のスポーツ記事を追ったら、元オールブラックスの右プロップ、いまジャパンのコーチ陣に名を連ねるタフガイ、オーウェン・フランクスにまつわるストーリーが見つかった。
そこに「ユニーク」とあった。オーウェンは「いっぺんもスコアしたことのない選手としては世界最多キャップというユニークなレコードを保持している」。
SNSメディアでの発言が紹介されている。
「スコアすることが自分のモティベーションになったことなど、ただの一度もない」
念のためにニュージーランド代表公式個人記録を調べる。現在36歳で2009年~19年までに108キャップ獲得。そして以下のしびれる表記が。
「TOTAL ALL BLACK POINTS 0pts」
なんと現在進行形で日本代表のセットプレーを鍛える人物は「国際ラグビーのアツシ・ヤマガ」なのだった。ちなみに本年まで長く所属したクルセイダーズでは「3トライ」を挙げている。
ところで山賀敦之を「0pts」のみで記憶しては礼を欠く。なによりもトップ級の背番号1であったのだから。日本A代表や関東代表、アジア・バーバリアンズにも選ばれている。
中学では剣道部。埼玉県立朝霞西高校でラグビーを始めた。入学時の体重は68kg。強豪校ではないので「新人の中で2番目に重かった」。天職のポジションはそんなふうに舞い降りる。引退後のインタビューで語った。
「運命なんですよね」。意味するところはこうだ。「熊谷工業や國學院久我山なんかに入っていたらSHですよ。それで終わりですよ」。案外、機知に富む9番で力を発揮した気もするけれど、まあ、トライはしちゃっただろう。
無名の山賀少年はラグビーでは無名の高校にあって、ひとりバーベルに取り組んだ。ウエイト室などなかったので校庭がトレーニング場、鉄の塊をまぶしいほどの青空めがけて差し上げた。最終学年で体重は85kgまで増え、帝京大学に進み、忘れもせぬ3年の夏、8軍から7人抜きでレギュラーへ。
いかに組み、どう押し勝つか。独自のノートをこしらえて研究に研究を重ねた。そのうえで最大の要諦を明かした。
「心理的に優位に立つ。そこにかける」
つい先日、オーウェン・フランクスがファンの質問に同じ内容を述べている。
「細かなスキルはたくさんある。でもメンタルの側面が最も大切だ」(Reddit)
トライいらずの両雄の実感は重く深い。
オーウェンは「ジャパンのコーチ体験」についても答えている。いわく「日本の選手たちは素晴らしい。ご存じの通り、勤勉だ」。なんとなくスタンドオフよりプロップに言われたほうがうれしい。