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勝つ自信の根拠はいくつもある。<br>ケイレブ・マンツ[フィジー代表/PNC2024最優秀選手]
Caleb MUNTZ◎1999年10月30日生まれ。175センチ、87キロ。フィジアン・ドゥルア所属。フィジー代表キャップ10。(撮影/松本かおり)

勝つ自信の根拠はいくつもある。
ケイレブ・マンツ[フィジー代表/PNC2024最優秀選手]

田村一博

 図らずも独占インタビューとなったのは、ケイレブ・マンツのおっちょこちょいのお陰だった。

 9月21日、花園ラグビー場で日本代表を41-17のスコアで下し、パシフィックネーションズカップ(PNC)2024の優勝を決めたフィジー代表。
 同チームのSOケイレブ・マンツは、全試合に出場してチームを全勝に導くとともに、48得点を挙げてプレーヤー・オブ・ザ・トーナメントに選ばれた。

 翌日、チームは東京経由で帰国の途に就いた。
 成田からオークランドを経てフィジーへ。ナンディに着いたのは翌々日の夜だったようだ。

 しかしマンツだけは、一日遅い帰国となった。パスポートを紛失してしまったからだ。
「いくつもカバンを持っていたから、パスポートを、つい新幹線の座席の前の網ポケットに入れた。降りるとき、そのまま忘れてきてしまったんだ」

 無事に手元に戻ったものの、日本を発ったのは仲間より一日遅れ。9月23日の日中に時間が空いたというから新宿のカフェでのインタビューが実現した。

◆直前で逃したRWC2023の舞台。

 PNC優勝と最優秀選手選出について、「チームの優勝は嬉しい。MVPは、そんな表彰があるとは知りませんでしたから驚きました」。
 賞品はアサヒスーパードライ1年分。「ニュージーランドで飲んだこともある。どうやって受け取るんだろう」と、顔をクシャッとした。

 個人的には、「長く怪我で休んでいたから、トーナメントを通して思い切りプレーできたことが良かった」と続けた。
 2023年9月に膝を痛めた。実戦に復帰したのは2024年5月のスーパーラグビー・パシフィック、ハイランダーズ戦。その試合の後半から、約8か月ぶりにピッチに立った。

 右膝の前十字靭帯を断裂したのはワールドカップ(以下、W杯)の初戦、9月10日(日)のウェールズとの試合を控え、準備を進めていた月曜日(9月4日)のことだった。

 その日はノーコンタクトのトレーニングだった。マンツはキックレシーブの練習をしていた。
 ジャンプしてキャッチ。着地する動きで受傷した。誰かと競り合っていたわけでもなかった。

 右膝を痛め、大会出場への道が閉ざされたときの感情を、「人生の中で最悪と言っていい気分だった」と回想する。
 ウェールズ戦で先発することが決まっていたのだから、落胆は無理もなかった。

少年時代は特にラグビーに熱中していたというわけでなく、「オールブラックスの選手たちの名前をすらすら言えるタイプではなかった」と話す。「チーフスは見ていて、ハーフバックをやっていたから、バイロン・ケラハーは好きでした」。高校時代にFBをプレーするようになってからは「ベン・スミス」。(撮影/松本かおり)

 当時23歳。今回のPNC決勝がフィジー代表での9回目のテストマッチだった10番は、4キャップながらW杯での活躍が期待されていた。
 W杯イヤーのPNC、トンガ戦(7月)でSOとして先発、テストデビューを飾ると、続くサモア戦、W杯直前のフランス戦、イングランド戦と10番のジャージーを着続けていた。

 突然の悪夢に沈んだマンツ。しかし、下を向いていても先へは進めないと、すぐに気持ちを切り替えたという。
「家族もフランスに応援に来てくれていたけど、チームと一緒にいて、と言ってくれたから仲間と過ごしました。怪我から1週間後にはフランスで手術を受けられた。そこから完全に気持ちを切り替え、先のことだけを考えました」

 フィジー代表はW杯でノックアウトステージに進出(ベスト8)。マンツはその姿を見て、「もちろん、自分がその中にいられたら、とは思いましたが仲間を誇りに思った」という。

「私たちは、勝つ自信を持って大会に臨んでいました。チームは準備段階から一体感が高まっていました。ツアーでいつも一緒にいて絆が太くなっていた。ワールドカップ直前にイングランドに勝った(30-22)ことも大きかったのですが、(その前の試合の)負けたフランス戦(17-34)で挙げたトライも良かったので自信は深まっていました」

 代表チームの進化は、2022年シーズンからスーパーラグビー・パシフィックに加わるフィジアン・ドゥルアの存在が大きい。
 マンツはドゥルアがリーグに加わった初年度からチームに在籍し、そう感じている。

 ドゥルアのヘッドコーチ(以下、W杯)を3年間務めてきたのが、今年から代表チームの指揮官に就いたミック・バーンだ。同HCは、信頼するコーチ陣とともにチーム強化を続けてきた。

◆怠けていたら置いていかれる。


 バーンHCがドゥルア時代から強化を続けてきたのは、ファンダメンタルスキル(基本スキル)とフィットネス、フィジカルという、アスリートとして根幹の部分だ。
 そこがしっかりしたことで、フィジー特有の才能が、より生きている。
「ドゥルアのトレーニングはハード」とマンツが証言する。
 PNC決勝で日本を41-17のスコアで下した80分。前半は10-10だったものの、試合後の記者会見でバーンHCは「ハーフタイムのスコアを見て勝てる確信があった」と話した。

 PNCの試合を振り返っても分かることがある。現在のフィジーは後半に強いチームになった。
 マンツが言う。
「以前は40-60分しか戦えないのがフィジーだったと思いますが、いまは最後の20分に走り、トライをとれるようになっています」

 国民性を考えれば猛練習は苦手そうだ。しかし、ドゥルアの誕生により変わったことがある。

「多くの選手たちにチャンスが増え、以前と比べて選手層がとても厚くなった。私も含め、キツイ練習は当然歓迎しません。しかし、競争が激しくなっています。みんなキツイ練習をしているので、やらなければ試合に出られないだけです。以前は代表チームも、選ばれる選手の顔ぶれはだいたい予想できたし、いつも一緒だったと思いますが、いまは若い選手も多く、誰が選ばれるか分かりません」

 基本スキルの徹底もチーム力を高め、上位チームに勝てるようになった、大きな要素のひとつになっているという。
「目の覚めるようなトライを取って勝てればいいとは思いますが、そんな試合など滅多にない。相手が強ければ強いほど、結局は基本スキルがしっかりしていないと自分たちの力を出せない。特にフィジーでは、子どもの時は自由にプレーしているだけで、基本など教わっていないので、あらためて基本を徹底するのは大事。そんな方針で強化は続いています」

少年時代は特にラグビーに熱中していたというわけでなく、「オールブラックスの選手たちの名前をすらすら言えるタイプではなかった」と話す。「チーフスは見ていて、ハーフバックをやっていたから、バイロン・ケラハーは好きでした」。高校時代にFBをプレーするようになってからは「ベン・スミス」。(撮影/松本かおり)

 連続してオフロードパスがつながるシーンは、フィジーラグビーの醍醐味だ。しかし、それをスキルとして練習することはない。

「どうして、無造作にうしろに投げてもつながるのかは、私でなく他の選手に聞いてもらった方がいいかと思うのですが、みんなが子ども時代からやっている、フィジーのタッチフットに理由があるように思います」

 同国のタッチフットは、数回のタッチで攻守を入れ替えるような日本式とは違い、一度でもタッチされたら攻守交代がルール。
 だから、ボールキャリアーはタッチされそうになったら、深くて長いパスを放る。周囲の選手も、そんなパスを予想して動く。それがオフロードパスの原型になっているようだ。

 マンツが「他の選手に聞いた方がいいかも」というのは、NZで生まれ、育ってきたからだ。
 NZの北島、ハミルトンとオークランドの間にあるハントリーの出身。1999年10月30日、フィジー人の父、マオリの母の間に誕生した。

 幼い頃はハーフバック。ハミルトン・ボーイズ・ハイスクールに進学してからはFBでもプレーした。
 高校卒業時は、仲間たちの何人かがNPC(国内州対抗選手権)のチームから声をかけられる中自分には誘いがなく、進学を選んだ。オークランド大学でエンジニアになる勉強を始めた。

◆カオスの中にあるフィジーの美学。


 フィジーラグビーとの接点が生まれたのは、U20代表やフィジー・ウォーリアーズに選出されたからだ。2019年、国際大会などに出場した。
 同年は、当時オーストラリアのナショナル・ラグビーチャンピオンシップで活動していたフィジアン・ドゥルアからも声がかかる。その時はセミプロのような待遇だった。

 翌年はグローバル・ラピッドラグビーに参加するフィジーのチームでプレーする予定だった。しかし、それがコロナ禍で流れる。
 2021年は肩の怪我もあった。また、カンタベリー大学に籍を移し、工学の勉強を進めていたため、ラグビーから離れた時間になった。
 2022年からは、スーパーラグビー・パシフィック入りが決まったフィジアン・ドゥルアからピックアップされる幸運に恵まれた。

「驚いた」と言うが、しっかり結果を出し続けたから階段を昇った。
 最初のシーズンからSOを務め、10試合、6試合と出場し、2024年は昨秋の大怪我から復帰して3試合に出た。

 今季の出場機会は少なかったが、リハビリへの真摯な取り組み、外から仲間をサポートしたことが認められてチームから表彰もされた。
 7分走のチーム記録更新など、怪我以前より身体能力の数値が高くなったところに、現在この人が信頼を得ている理由がある。

年代別代表選出後もエンジニアへの思いを抱いていたが、「迷っていては中途半端になる、と思い、ラグビーでいくことに決めました。勉強は、あとになってもできるし」。(撮影/松本かおり)

 大人になってフィジーラグビーの中に入ったから、NZとの違いがよく分かる。
「ニュージーランドがストラクチャーの中でプレーするのに対し、フィジーの選手たちは、とにかくカオスを作るのが好き。その中で、フィジーラグビーの美しさというか、魅力を自然と出す。それが、他の国にない強みになっていると思います」

 代表チームは2023年のW杯の頃にはすでに若い選手たちがどんどん出てきていたから、チームが熟成する頃に開かれる2027年W杯が「いまから楽しみ」と話す。
「今度こそ、ワールドカップの舞台に立ちたいですね。ティア1の国とのテストマッチも増えています。チームが強くなっていく環境は整っていると思います」

 昨年のW杯で好成績を残したチームの体制は、ドゥルアの強化にあたってきたバーンHCら首脳陣の高い指導力もあり、さらに選手たちを高みに導くものとなっている。

「アーロン(メイジャー アシスタントコーチ)は、自分になかった選択肢を示してくれる。コーチ陣とはよくコミュニケーションも取れているし、チームは新しいことに取り組んでいます。いろんな刺激があって楽しい」

 S&Cコーチのデヴィッド・シルヴェスターは、イングランド代表の指導経験もあり、常にハイテンションで選手たちを鍛え、能力を引き上げる。
 バーンHCが「うちのコーチたちは世界最高レベル」と言うのも理解できる。

 PNCから帰国したバーンHCは、空港で現地メディアの取材に対し、選手層が厚くなったと話し、11月のツアーでは、PNC組と海外ベース組をうまくミックスさせ、チーム作りをさらに進めていきたいとしている。

 スコットランド、ウェールズ、スペイン、アイルランドと戦うチーム、そして司令塔マンツの上昇を注視したい。
 フィジーと日本は、世界のトップ国から、自分たちを追う存在と見られている。置いていかれるわけにはいかない。




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