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急逝のU18フランス代表、メディ・ナルジシを偲ぶ人々。真実を追う父。
2024年9月15日、スタッド・エルネスト・ワロンで行われたトゥールーズ×ラ・ロシェルでメディ・ナルジシに捧げられたオマージュ。(Getty Images)

急逝のU18フランス代表、メディ・ナルジシを偲ぶ人々。真実を追う父。

福本美由紀

 8月7日、南アフリカに遠征していたU18フランス代表が、喜望峰付近のディアスビーチでリカバリーセッションをおこなっていた。
 その時、一人の若い選手が離陸流に連れ去られ行方不明になった。

 先週(9月15日)、トゥールーズのホームスタジアムであるスタッド・エルネスト・ワロンで今季最初の試合が行われた。
 その試合に先立ち、この夏に急逝したチームスタッフ、ジョー・テコリ氏の妻・ヘレンさんと、メディ・ナルジシへオマージュが捧げられた。テコリ氏は元サモア代表で、2013年から引退する2022年までトゥールーズでプレーした。

 スタンドを埋めた1万9000人の観客の拍手に迎えられ、メディが所属していたトゥールーズの16〜18歳のカテゴリーの選手、コーチ、ボランティアスタッフが入場。22メートルラインから反対側の22メートルまでずらっと並んだ。
 横断幕が広げられる。彼らが着ているTシャツと同じく、黒地に白の文字で「みんなはメディと共に、メディは私たちと共に」と書かれている。

 涙を必死で堪えようと天を仰ぐ選手。堪えきれず抱え合う選手。胸が締め付けられる。中にはメディと一緒に南アフリカ遠征に参加していた選手もいる。トゥールーズはメディのチームメイトの心のケアのためにカウンセリング体制を設けている。

 その拍手の中、試合に出場するプロ選手がおごそかに入場してきた。トゥールーズの選手一人ひとりが、中央にいるメディの家族の肩を抱き、声をかけ、横断幕の前に整列する。アナウンスが流れ、あらためて場内が拍手で埋め尽くされる。

 再びアナウンスで試合開始が告げられる。
 ユーゴ・モラ ヘッドコーチがトンネルに消えていこうとするメディの父、ジャリル・ナルジシを抱きしめる。2人は現役時代、カストルで共にプレーした仲なのだ。HOだった父から譲り受けたフィジカルの強さ、そして器用さとスピードを持ち合わせ、メディは将来を嘱望されたSHだった。憧れの選手は、もちろんアントワンヌ・デュポンだった。

「メディはトゥールーズが大好きだ。なぜそんなに好きなのかよく分かった。会長も、プロチームのヘッドコーチも、チームメイトもコーチも、みんな心を痛めてくれている。このセレモニーで、メディがみんなにとって太陽のような存在だったことが分かった。メディがそこに一緒にいるように感じられた」

 父は翌日、『レキップ』紙のインタビューに応じた。この試合の前にはテレビにも出演している。
「これは大惨事なのだということを人々に分かってもらいたい。真実が語られ、司法がその役割を果たし、責任者は裁かれ、罰されることを望む。彼らは指導者の職に就くべきではない。中には服役するべき者もいる」

「スタッフの誰一人として私たちに連絡してきた者はいない。U18フランス代表選手としてフランス協会に息子を預けた。彼の夢だった。そのためにとても努力していた。私たち家族は協会を信用していた。でも帰ってきたのは息子のスーツケースとパスポートと携帯電話だけ。私たちの生活はそこで止まってしまった」

 9月12日、フランス協会は内部調査の結果を発表した。その前日にナルジシ家とスポーツ省に提出した報告書を『レキップ』が入手している。
 それによると、ホテルでおこなわれる予定だったリカバリーセッションを、なぜ危険とされているディアスビーチに移すことになったのかということに焦点が当てられている。

メディ・ナルジシはトゥールーズを愛し、トゥールーズに愛された。(Getty Images)

 その案は、事故が起こった前日のミーティングで、S&Cコーチのロバン・ラドージュから出されたという点では、スタッフ全員の供述が一致している。しかしラドージュは、「ミーティングの出席者全員で決定された」と供述しているのに対して、このチームのヘッドコーチのステファン・カンボスは「リスクが高すぎるとためらいを示した」と述べている。
 しかし他のスタッフからも、カンボスがそのような意思を示したという供述は得られていない。

 また、すべてのフランス代表チームが南アフリカに滞在する時に受け入れ業務を長年担当してきた、現地在住のフランス人のアドバイスを聞かなかったことも指摘されている。
 さらに父が現地でそのフランス人から聞いたところによると、「ラドージュは昨年もディアスビーチでリカバリーをおこなおうとした。危険だからそこでするべきではないと止めた。今年は意見を求められなかった」と言う。

 当日の海の状況についても協会は疑念を抱いている。
 ラドージュは「波の高さは2メートルほど、水深は最大で腰の位置。岩場から離れた場所を選んだ」と述べているが、聞き取りに応じた2人の選手は「波の高さは3〜4メートル」と述べ、気象サービスの記録でも約4メートルとなっている。

 海岸へ続く遊歩道には、「警告:リップカレント(離陸流)、遊泳危険」と書かれた標識が立っているのにスタッフの誰もが「標識を見なかった」と述べていることに対して、協会は「危険を知らせる標識を考慮に入れなかったのは特に非難されるべき」としている。

 次に協会が指摘するのは、セッションが正しく管理されていなかったという点だ。
 グループより先に現場に着いたラドージュはWhatsAppで「波は少し強めだから波打ち際にいるように」と指示を送ったというが、現場には電波が届いておらず、誰もそのメッセージを受け取っていない。選手は「指示はなかった。水は脇の下まで達していた」と言っている。

 セッション開始時は、ラドージュひとりがウエットスーツを着用し、救命用の浮き輪をつけ、20メートルのロープを持って水に入っていた。少し遅れてビデオアナリストが水に入り、選手に海岸と自分たちとの間にいるように示すためにラドージュと並んで立っていた。
 しかし、決められたゾーンから数十メートル離れたところにいた選手も見られた。そのことからも、選手だけでなく、スタッフ間でもビデオアナリスト以外とは情報共有はできておらず、「即興的におこなわれた印象」と協会は指摘している。

 セッションは予定より5分延長された。波が強くなってきた。「ジャンプしないと頭を水面に出していられなくなった」、「強い流れで沖に流されそうになった」と選手が証言している。それぞれが海岸に上がってきた時に、メディがグループから40メートルほど離れたところにいることに気づいた。
 チームメイトのオスカー・ブテーズが助けようと再び海に入りメディのいる場所まで泳いだ。メディに自分の肩を掴ませることに成功したが、その後に襲ってきた波がメディを連れ去ってしまった。

 スタッフはメディを救おうとしたのか?
「危険が高すぎて断念せざるを得なかった」とどのスタッフも供述している。
「自身の危険を省みずメディを救おうとしたのは17歳の子どもただ一人。メディを助けに行くのが怖いぐらいなら、なぜスタッフは選手を海に入れたのか? ラドージュはウェットスーツも着て浮き輪も持っていたのに、何もしなかった。誰も何もしなかった。これが彼らの子どもだったら、彼らはどうしていただろう」と父は怒りを抑えられない。

 ラドージュやカンボスのようにスタッフの中にはスポーツ省からフランス協会に出向している職員が含まれており、その処分についてはスポーツ省の調査を終えてから決定される。

 しかし、「私たちにとって重要なのは行政の調査ではない。犯罪捜査だ」とナリジシ家は訴えを起こしている。ただ、メディが行方不明になったのは国外で時間がかかり、裁判が行われるのは2026年になると見られている。

「速やかに進行するように予審判事はできる限りのことをするだろうが、現時点では『行方不明』として扱われていることが問題になってくる。本件を『過失致死事件』に切り替え、予審判事に全面的な権限を与えることが次のステップになる」とナリジシ家の弁護士は今後を見据える。

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