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バンクーバーから中継のテレビ画面に確信した。ジャパンーカナダの後半27分8秒。
「こ、これは。この長田のパスは。ストレートパス!」
スピンをかけないクラシックなスキル。「ひらパス」と呼ぶ人もいる。さらに胸中で勝ち誇るように。
「やっぱりストレートパスなのだよ。ラグビーは」
本コラムを書き始めるにあたり当該の映像を確かめる。紺に桜のジャージィは前がかりに攻め、短く蹴り、長く蹴り返される。うしろのスペースはがらあき(このチームの課題のひとつ)だ。
そこへ背番号23の長田智希がよく戻り、鋭くかわして、ここしかないタイミングでジョネ・ナイカブラへつなぐ。
こ、これは。人ではなく、その前方の空間への軌道と、せっかちでない球の勢い。さあ唱和しましょう、ストレートパス!
ではなかった。スピンといえばスピン。いくらか押し出すように投げたので回転は露骨ではない。でも「ひら」とは違った。ナイカブラはそのボールに引き出されるかのようにトライラインまで走り切った。
このコラムの構想の前提が崩れた。主題を変えようか。いや、このままで。あれはモダンなストレートパスなのだから。
以下、地下結社である「スピンパス偏重に小さな声であらがう市民連合」のメンバーとしてストレートの効用を解説したい。
コースが敵陣インゴールへ向かう者の勢いをそがない。スピンは自陣のほうにどうしても巻いてしまう。受け手の内側の肩にくいこむ感じ。よきストレートは外の腕を伸ばして捕るとそのまま抜ける。今回のナイカブラ独走もそうであった(ゆえにモダンなストレートパス)。
長田智希はキャッチする者の前方のスペースへパスを送った。軽くスピンはかかっている。ただし「人でなく空間」に放ったのでランナーは自然な速度を保てる。
CTBが眼前のラッシュ防御に対峙したら「外の手で捕る」ような余裕はないかもしれない。そうであってもストレートは「点」でなく「面」を走ったり漂ったりしてくれるので、早くつかみたければ体勢を御して肩口に迎え入れる。あるいは外にふくらんで流れる球と「並走」することも可能だった。
2009年6月。お墨付きを得た。フランスの往年のCTBで111キャップ獲得の伝説の名手、フィリップ・セラに「このごろはスピンパスばかりで、あれ、いかがなもんでしょう」と質問してみた。同国U20代表の団長の立場で大阪に滞在していた。
「いまは身体の強化が進み、個々の選手がボールを保有する時間も長い。技巧にたけた選手もいます。ただパスについては多様性が失われた。スピンパスを投げ過ぎだとは思います」
スピンの歴史のおさらい。おおむね1960年代の後半に国際級のSHが回転を加えた長いパスを用いるようになる。日本のラグビー愛好者が初めて目にしたのは67年に来日したNZU(ニュージーランド大学選抜)の9番、オールブラックスのクリス・レイドローの繰り出すそれである。80年代にはライン全体にも広がっていた。
セラは87年の第1回から95年の同3回までのワールドカップに出場した。握力のきゅっと効いたスピンも上手だ。ただ本人のモットーは「ディフェンスの中でプレーする」。防御ラインに「入り込んで」継続を図るには「回転なし」が有効だった。
いま。高校や大学を含め、国内のファーストクラスのプレーヤーは「ひら」を意識しなくとも、緊急性や距離を計って、必要ならそうしている。オフロードにスピンが不用なのと同じ理屈だ。現在主流のアタックではFWがショートのパスを駆使するので、リーグワンのクラブでもこちらは「ひら」のドリルにも取り組む。
本稿は、ストレート=ひらパスは短いつなぎに限らず、一般にスピンを用いるような仕掛けにおいても、いまだ有効ではないかという視点に立つ。セットプレー起点で背番号10から12を飛ばして13に放るような。
たとえば高校のラグビー部員はいっぺんストレートパスを習得しておくとよい。繰り返すが「人より空間」を身体化する。そのうえで「スピンの現世」へ戻っても、バンクーバーの長田智希のような感覚はきっと消えない。
サッカーのJリーグ創成期の1995年、名古屋グランパスにフランス出身のアーセン・ベンゲル監督がやってきた。のちに長期にわたりイングランドのアーセナルの指揮を執り名をはせる腕利きである。翌96年途中まで指導、低迷していた集団を引き上げた。
当時の所属選手に「どうでした?」と聞いた。
「すべてにシンプル。ただ、きたパスを足元にピタッと収めるな、必ずボールが相手のゴールへ向かうように止めろ、そこだけは厳しかった」
前へ。フットボールの根源である。それは明治大学のFWの突進のみを意味するのではない。