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挫折の美しさ。
女子柔道48kg級で金メダルを獲った角田夏実。這い上がってつかんだ栄光。(Getty Images)

挫折の美しさ。

渡邊隆

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#パリ五輪


 パリの美しい街並み、数々の重厚な文化遺産の中で行われた、かつてないチャレンジングな、エンターテイメントオリンピックが幕を閉じた。

 8月28日からはパラリンピックが始まる。次はどんな驚きを世界に映し出してくれるのだろうか。

 最終日、パリ市庁舎を女子マラソンがスタートした。フランスが誇る、時代を超えた、数々の名建築の前を通り、日差しを全身に受けた、金色に輝く女子ランナーたちが駆け抜けていった。

 世界の選ばれし、妖精たちが一堂に会し競う。色とりどりのウェアとシューズが踊る、その様は、まるで別世界の楽園のように見えた。
 これは単なるスポーツではない。芸術として演出された、あまりにも美しいスポーツアートであった。

 そしてゴールは、フランスの英雄ナポレオンが眠るアンバリッド礼拝堂。黄金ドームを背に選手たちが走り込んでくる映像も、計算し尽された印象的なシーンだった。

 日本は45個のメダルに沸いた。17日間の激闘、勝者と敗者のさまざまな歓喜と涙の中で心に響いたのは、やはり、その裏にあるストーリー、選手本人にしか分からない苦闘と、挫折を克服したドラマだった。

 角田夏実(つのだ・なつみ)は31歳、遅咲きの柔道家である。これまでにオリンピックの出場経験はない。階級を一つ下げて挑んだ東京オリンピックもリザーブにまわった。

 膝の怪我にも悩まされた。世界の頂点を競うこのクラスのアスリートは、ほとんどが何らかの怪我を抱えているはずだ。

 悲鳴をあげる自分の身体と向き合い、目標達成を誓った心が、自分の肉体の限界を超える。ハードワークで怪我に至る危険性もはらみながら、どこまで自分を追い込んだらよいのか。誰も分からない、自分の身体の未知の領域をコーチと共に走る。

 巴投げからの、腕ひしぎ十字固めなどの関節技。この完成された柔道に至るまでの、苦難の長い道のりを、頂点に立って流した涙が語っていた。そのシーンはどんな言葉よりも重く、強く、美しく伝わってきた。

 卓球女子、早田ひなも、東京オリンピックでは悔しいリザーブの一員だった。ついに、出番はなく、自国開催で活躍するスター選手たちの、サポートに徹した東京オリンピックだった。

 そして、その悔しさをパリで爆発させる。シングルス3位決定戦、韓国の巧者・申裕斌との激闘、どちらが勝ってもおかしくない緊迫したゲームだった。そして最後の1点が入った瞬間、早田はコートに崩れ落ち、そして両手で顔をおさえて泣いた。

 その姿を見て、どれだけの重圧が彼女の身体の中に積み重なり、どんなに悔しい日々を過ごし、この舞台に辿り着いたのか、計り知れない重さがテレビ画面から伝わってきた。それが一気に解放された瞬間だった。

 負けた悔しさ。その涙を越えて、輝きをつかみ取った選手たちには、不屈の魂が宿っている。
 苦難の道を経過して辿り着いた勝利には、人の心を震わす何かが存在する。その勝利は、また別物のようにも思えた。

 何故、幾多の挫折を経験した後の歓喜は、こんなにも人の胸を打ち、美しく輝くのだろうか。

 耐え抜いた苦しさや悔しさが、頑張った過去の自分と重なることで、身体が知っているその共感が、胸の奥の琴線に触れ、増幅するのかもしれない。

 競技によっては適齢期もあり、次々と若手が台頭してくるスポーツの世界で、負けて、競技人生に幕を降ろす選手もいるだろう。

 大学ラグビーでいえば、4年生がラストイヤー。本格的なラグビーは大学まで、と考えている選手も少なくない。国立競技場で大学日本一の歓喜に浸れるラグビーマンは、日本で23人しかいない。その他、ラグビーを志した全てのラグビーマンは、全員が敗者となる。

 その悔しさを、次の人生の糧と出来るか。その貴重な経験を強力なバネとして、社会で新たな挑戦に邁進出来るか。それが、スポーツに身を捧げた者の、大切な心の在りようである。

 再生。何度倒れても、また立ち上がる。この不屈の精神こそが、スポーツから学ぶ、何にも代え難い価値である。

 7人制ラグビーの敗戦、男子バレーあと1点の壁の厚さ、柔道男女混合団体決勝の悔しさ。
 4年後のオリンピックで雪辱を果たし、ロサンゼルスの広大な大地に、世界中の人々の心を打つ、挫折と屈辱の土から芽生えた、美しい花が咲くことを願っている。

【プロフィール】
渡邊 隆/わたなべ・たかし
1981年度 早大4年/FL。1957年6月14日、福島県生まれ。安達高→早大。171㌢、76㌔(大学4年時)。中学相撲全国大会で準優勝。高校時代は陸上部だった。2浪して早大に入学後、ラグビーを始める。大西鐵之祐監督の目に止まり、4年時、レギュラーに。1982年全早稲田英仏遠征メンバー。現在は株式会社糀屋(空の庭)CEO。愛称「ドス」



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